俯瞰力 2

大学生になった時に体育会アメリカンフットボール部に入部したが、一番最初にヘルメットをつけて頭で当たった時に「もう、辞めよかな?」と思ったぐらい痛かったW

自分が入部した時、大学の部は3部の一番ビリで毎年最下位争いをするのが「当たり前」の散々なチームだった。が、それが長く続ていたのでもうその状況に慣れていた。

そういう状態が続いていると必ずそういう環境で起こっている事がある。

1つ目は、その状況を不思議に感じなくなること。負け続けることが当たり前になると「負け犬」が当たり前になるので「悔しい」という感情のレベルが格段に低くなる。

2つ目は、それを「どう打開していいのか」客観的に状況を観る視点を持たないので

自分たちがおかしい事に気付かない。

3つ目に、もちろん客観視できる視点がないので、チームの短所、長所、チーム力の分析がなされないので戦略を持たない。いや、持てない。

そういう環境がもたらすのは、朝から晩まで「一生懸命やった」ことや、暑い中で「長時間練習した」ことなどの「自己満足の自己評価」するようになる。

あたり前だ。

明確な戦略を持ってゴールを設定しないと、

「自分たちが成長しているのか否かを評価できる指標がない」し

「努力の方向性が目標に向かって正しく行われているのか」確認できないし

そういう状況でいくら練習をしても

「どこをどう修正すればいいのか」が出てこない。

こんな状態でただ時間だけを浪費して練習してもモチベーションも上がらないし、もちろん上手くなるわけもなかった。

ところが・・

ある一人のコーチが自分たちを、そしてチームを一変させた。

そのコーチは自分たちとは雲泥の差でプレーしていたコーチだったのでまさに「俯瞰的」に自分たちのチームを一瞬にして分析できたのだ。

そこでプレーしていたのは同じ人間だったが、そのコーチが来て我々クソチームに教えたことはプレーが上手くなることじゃなくて

「目標をまず決めなさい」

「決めた目標に対して、数字で行動計画を立てなさい」

「行動計画が数字通りに達成しているのか否か、常に確認しなさい」

「確認したなら、次のステップに進んでいい場合は次に進みなさい」

「進めない場合は、何が原因で進めないのか?じゃあどうやったらそれが出来るように修正すればいいのか考えなさい。」

「メニューは基礎から徐々にステップアップして組んでいるから、目の前のメニューをクリアーしていかないと次のレベルに行っても、必ずクリアー出来ないレベルのミスをし続けるだけだから、ミスの原因が分からなくなる。だから次に進むな」

などというアメリカンフットボールのみならず、社会に出てからも、今自分が生業としている農業経営に対しても通用する

「戦略的思考と行動計画の立て方」をチームにもたらした。

我々は、プランに従ってグランドでは肉体的なパフォーマンスを繰り返し、グランドで肉体的パフォーマンスが終わるとミーティング頭脳で反省と修正のプランニングを繰り返し行った。毎日、毎週、毎月・・。

それによってチームはみるみる強くなった。自分が1年生の頃は3部の最下位争いが「当たり前」の環境だったものが、2部のチームに負ける事が悔しく思えるようにレベルアップしていたし、自分が4年生の時の1年生が2部に昇格し、その後2部でも優勝して1部の入れ替え戦まで出場した。つまりチームの「当たり前の基準が」まったく変わってしまった。

これは全てこのコーチがもたらした

「目標設定を明確にしなさい」

「できないのは全部自分の責任」

「下級生がやらないのは、上級生の責任や。お前らの背中に問題あるからや」

特に自分はチームを預かる主将という立場だったので

「お前がやらんかったら全員やらへんで。お前の背中がチームを決めるねんぞ」

となおさら厳しい立場だったが、弱かった自分が今あるのはこの経験とコーチのおかげでしかない。

「他人に迷惑かけるな。一人が手を抜いたらその責任を他人が追わないとダメになるから、本来その責任を負う場所が手薄になってそこを突かれる。そういうやつが一人でもいるとそれで負ける。だからそういうやつは最初からいらん」

という事だった。

こういう「組織を育てる」にはまず「人を育てる」ということが大切なんだという経験をさせてもらった。

弱小チームになれてしまい「負け癖」「楽を覚える」「自己満足」「自己評価」・・という環境にいて、いつの間にかそれに疑問を感じない「ゆでガエル」になってしまうと客観的にそれを評価し指摘してもらえる人がいないとそれを脱却する事は難しいが、いくら客観的、俯瞰的にアドバイスをしたところでもう根っこから「ゆであがったカエル」には全く効果がない。

ゆであがったカエルは「聞く耳」を持たないから。

若いうちにこういう「経験」をしている人間は常に自分の「立ち位置」を確認するという「習慣」が出来るようになる。

立ち位置をなかなか自分で確認する事は凄く難しいので、常に「マイナス要因」に耳を傾けるようになる。こういう経験をすると「ゆでガエル」になる恐怖を知るから。

農業経営を始めると、「自分の評価は2割増し」と言われるように、どうしても自己評価は「盛りがち」になるもの。そうなると少しの遅れや気づきを見逃してしまい、それが毎年蓄積して行き「ゆでガエル」の方向に進んでしまう。

そうならないためには毎日を「意識」して感性を研ぎ澄ましておかないと、一度鈍った感性を取り戻すことはほぼ不可能に近い。

今年も今日で終わるが、今までも、そして来年からも

全てに対して「チャレンジャー」であることは何の変りもないし、自分が既存の延長戦でしか物事を考えられなくなったときはもう未来を想像する感性が無くなっている証拠なので、新たなチャレンジができないだろうから、その時は引退するということもまた変わらない。