努力と根性と計画性のなさと
若いうちにいわゆる「一流の世界」の人と接する経験があるのとないのでは、その後の自分に与える「人生観」が全く違うんだろうなと感じる。
自分は幸運なことに金メダリストと同じグラウンドで練習する姿を毎日見たり、日本一になる集団、プロのスポーツ選手で飯食う人、造園や財界、飲食、スポーツ、世界基準で活躍されている方々の姿勢と生き方を目の当たりにし、そこに行くまでの考え方に触れてきた。
一線級で、プロの世界(みんな一緒、昔から一緒の世界にプロの世界は存在しない)で活躍されている人の共通点は明確。
そのことが好きで好きでたまらないこと。
お金を「目的」として働いていないこと。
人と同じことにまったく興味を示さないこと。
何事も鋼の意志で「やり通す」こと。
行動が素早いこと。(出来たらやる、誰かがやるまでやらない・・はない(笑))
ゴール設定が明確なこと。
など様々な共通点が多い。
戦略は、ゴールが設定されていないと持てない。
戦略がないと作戦と戦術が立てられない。
戦略は「経営戦略」という言葉があるように「どうなりたいか?」だ。
方向性と行き着くレベルの設定がなされていないと、現状から分析しての日々の行動計画が立てられない。
方向性と行き着くレベルの設定がなされて初めて、それに必要な要素が明確になり、資金の調達、人財の育成、ハード、ソフトの準備期間などが期限の定められた「数字」で明確に示される。
それができて初めて現場レベルの、何を、どうやって、どの道具を使って・・などの戦術レベルまで落とし込める。
これを具体的に農業の世界に落とし込むと
まずどういう生き方、いつ引退を考えるのか?を想定し
それまでに残された時間から逆算し、資金計画、人財育成、レベルの設定、必要なハードをいつまでに整備、準備するかの計画が出来る。(土作りはこの部分にあたる)
土作りと作物作りは全く違う。
土作りは全作物共通の事柄なので、土作りの「本当の意味」が理解出来ればどんな作物も作ることが出来る。何を作るかは所詮戦術レベルの話なので、そのもう1階層下の土台が出来れば、種をまくのは自分の好きなものを撒けばいいだけ。
土作りとは、堆肥をいっぱいとか、どんな肥料を使うから美味しくなるからこの肥料は教えないとか・・とかそんな根拠のないいい加減なものじゃないし、1代の感覚で終わるような名人芸だから次世代に受け継がれない。
土作りにも明確なゴールがある。ゴールがあるから計画がたつ。計画には必ず「数字」が伴う。数字がないのは計画にすらならない。
TOYOTAのプリウスの開発者が定年退職してもその設計図と仕組みをしっかりと受け継げば、プリウスも更にそこから発展した車も生産し続けられるのと同じこと。
戦術は最後の最後の話。それを達成するには、露地野菜なのか施設園芸なのか、酪農業なのか、加工品なのか、直売なのか、有機栽培なのか・・
だから何を作るのかの手段はあまり重要ではなく、それは時代に応じて、変化に応じて対処すればいい。そのためには「それはそもそも手段だから対応する部分」だという認識を持っていないと「変化」や「対応」することにアレルギーを起こす。
「手段が目的」にあることそれは、枝葉の部分に気をとられて、幹や根っこがやせていることに気付かない。
植物は、「危機を感じる」から種子を残そうとして花をつけて実をならせる。
よく狂い咲きした木は枯れてしまうのと同じこと。花や実なんてまず根を張ってその環境に根が順応し、そこに適した生育を覚えれば幹が育ち、花をつけて実をならせても大丈夫だと本人が判断すればば勝手に花が咲いて、実はなるもの。体が十分に出来ていれば花も大きくなるし、大きな花からは充実した実が出来る。当然、充実した実からは充実した種が出来るから、その種からできる実もまた充実する。うわべだけを「みんなと一緒」に揃えても、根っこと幹をしっかり確認しないと「狂い咲き」と同じ状態になってしまう。
戦略を明確に持たずに、ゴール設定もなく、方向性も持たずスタートしても「どれぐらいのペースで」「どっちに向かって」努力していいのかわからないから、ペース配分を間違って途中でバテるし、そもそもとんちんかんな方向にいくら「頑張って」も「努力」しても「根性」をだしても全部最初から最後まで無駄な努力。
だから、「結果」じゃなくて「時間」を評価の対象を持ち出してくる。
何十年やってるかも何代続いているかもそれは全て「過去」のことなので、今を生きる人間には何の興味もない。
今と未来をどう構築していくために、今からどう行動するのか?
変えられない過去に向かって、過去にすがっても何も変わらないことに誰もついてこないし、何の興味も示さないのはあたり前。だからそういう場所には誰も賛同しない。
明確にゴールを示して、そのゴールを共有し、一歩ずつでもそこに向かっている「結果」と「実感」が「やりがい」を生みだすもの。
その「達成感」と「充実感」が人を動かすし、「結果」がでるから人って自分の「成長」を感じることが出来る。それがそのまま企業、職場のモチベーションや成長に直結する。結果の出ない努力はただの苦痛だし、それに成長を感じることはないのはあたり前。
いくら経営の本を読んでも。人材育成論の本を読んでも、人が育たないのはそこに答えがないと気づかないから。
人がいなくなる場所はつまり「未来」から捨てられつつあるんだよね。
場所や職場はそこにいる「人」がつくるものだから、その思考をいまだに捨てられない「人」も同じこと。
戦略、つまり「自分はどうなりたい」というゴールを持たないスタートを自分が切るということは、ハンドル効かない、ゴールもない、燃料もどこまでもつかわからない準備不足の車を用意して運転させられているようなもの。それを、現場レベルで努力や根性ではなんともならないのはあたり前だけど、若いうちに「どういうゴールを目指すから今足りないものは?いつまでにどうやったそれを補える?」という「頭で考えて対処する」経験をもたないと体力だけで乗り切った頃の話や、時代の変化がゆっくりした感覚が今でも続いていると勘違いする。
ゴール設定と時間は有限だと認識していると、自分のセンスが追い付かなくなったかな?とか老化に気付けるからバトンの受け渡しもスムーズになり、プレイヤーとして通用しなくなっても、アドバイザーとして次世代から必要とされるもの。
そして劣った認識があれば、努力の「方向性」もおのずと変化するもの。
一線級で活躍された「ほんもの」は引退したくても全く引退させてくれないから、今でも次世代から引く手あまた。
プレイヤーとしてではなく、アドバイザーとして。