なんとかしてくれよ・・って
少し前に女性のコンサル業務をされている方とお話しした時に言っていたこと。
「よくね、なんとかしてくれ!って相談あるんですけど・・」って・・。
これを聞いたときに
「それおかしくない?何とかするのは経営者の方であって、こうしたいんだけど何が違うのかな?とか、こういうものを作りたいと思うんだけどどこにいけばいいのかな?とか、こういう話を聞きたいんだけど誰にきけばいいんだろう?とかが普通でしょ?だってそういう人のなんとかするってあなたに人生のかじ取りしてくれって言ってるんだもんね?」って返すと
「あーやっぱりそうですよね(笑)この話分かる人は必ず、どういうことがしたいからっていう自分の意志や方向性を示した上で私にマッチングなり、アドバイスなりを求めてこられるんですよ。だから私は客観的に話をするだけですし、そこが分かっている経営者の方は自分では気づかない客観的視点を求めているので大体私の意見に耳を傾けていらっしゃいますね」と。
どんなことにも当てはまる共通点で、
「誰に相談したから」
「誰とあったから」
「こういうものが建ったから」
「こういう施設が出来たから」
で変わるのは、自分以外が変わるだけで、自分の中の「誰かに何かをやってもらおう」という意識は全く変わっていないことに気付かない。
なにかが出来て変わるのは、そもそも何かが出来なくても、誰かに依存しなくても少しずつでも前に進む努力をしていた人の努力の導火線に火が付くきっかけになったり、もともと集客力があるところが更に集客力が増えるだけの話でしかない。
自分が主体となって行動しないのに、誰も賛同しないし、応援もされない。
賛同される人、応援される人には必ず共通点がある。
それは「人の目を気にしながら形だけ上手くやろうとする」んじゃなくて
「上手く行くか行かないかよりも、がむしゃらに本気でやり続ける姿勢」があるかないかだけ。
オリンピックやラグビーや野球でもサッカーでも、人が共感して応援して涙流すぐらい心動かされるのは、小ずるく上手くやってる姿じゃなくて、汗かいて体張って限界まで一生懸命やる姿に感動を覚えて応援したくなるもの。だから負けたチームにも同じだけの称賛が与えられるし、その姿をみて新たな応援団も増えるもの。
だけど小さいころから自分が先頭に立って一番大変な風をうけて突き進む経験をした事が無くて、人の顔色をうかがいながら「上手く、怒られないように」行動してくると、痛みや辛いことを経験する事が出来なくなる。
でもその先に待っているのは、先頭に立って何度も何度も挫折や失敗を味わってでも突き進んだ人間だけが味わえる「一番おいしいところ」じゃなくていつも「そのあとの食べ残し」だ。先頭に立たなくてもチャンスはやってくる。だけど何かが大きく変わるだけのチャンスはやってこない。その大きなチャンスは前で全部持っていかれているから、その残り物ではいつまでも何も変わらない。
最初から何かを犠牲にする覚悟で行動する人と、その覚悟を持たずになんとなく始めた人では、何かにぶちあった時でも「まーこんなのそもそもあることでしょ?」ってそこからがやっとスタートだと考える思考能力なのか、「~がないと出来ない、~がやってくれないから出来ない」とすでにそこが終わりの思考能力なのか全く違う。
前者はその時点で「ワクワク」と未来が始まるし、後者は「絶望」と過去の栄光にすがりだす。こういうことを繰り返していると、最初の壁に当たった時点でどれぐらいの割合でリタイヤして次の壁までやってくるのがどれぐらいで、又次の壁に当たった時にリタイする割合ってなんとなく分かってくるもの。
やらないという決断は「他人がきめたこと」じゃなくて「自分がきめたこと」だから、それが習慣になるともうずっとやらなくなって、いつのまにか出来なくなってゆく。
どうせどんどん年を取っていけば、体力もセンスも置いていかれるのはあたり前だし、どれだけ築いた財産も棺桶には入れてもらえないしな(笑)
それを「最初から」分かっていれば、やっぱり「なんとしてでも」自分がやるよね。