粋(いき)

粋(いき)とは・・さっぱりした気立てで、垢抜けがし、色気もただよう(特に花柳界の遊びに通じている)こと。そういう感じのする身のこなし、様子。人情の機微(容易には察せられない微妙な事情)に通じ、さばけているさま。

例えば、

落ち度を粋な計らいで取り繕ってやる。

とあるように、粋とはしてもらう事、与えられることの方向性じゃなくて、してあげる事をしてあげたと思わない事、与えたことを悟られないようにする事だし、稼ぐ行為ではなく、使う行為の側の言葉だと考える。

どう使うか?から逆算してどう稼ぐのかという「目的」から「方法」を考える思考でないと、稼ぐこと自体が目的では粋じゃない。

ある程度の年齢を過ぎれば「粋」でありたいものだなと思うものだが、稼ぐことだけに執着して人生を送ってくると、いつのまにかどう使うのかの使い方を覚えずに年を取る。お足に集まる人は、お足がなくなれば去るだけなので、人に集まっているのではなく、それはお足に集まっているだけ。

粋に生きている人を見ると自分の「金」「時間」「知識」等を「どう使うか?」をいつも考えているので、そういう人のもとには常に人が集まる。

人が集まるからアイデアもでるし、人も育つし、化学反応も起きる。

「今だけ・金だけ・自分だけ」に「粋」の概念など存在しない。

「粋」の概念はそうしたことさえ悟られないことまでが「粋」。

人情の機微に通じるにも、自分が大変な思いをすればこそ。だからさりげないフォローもしてあげられるもの。

「恩送り」という概念も「粋」の概念と似通う。

受けた恩は、次の世代に返す。そしてまた次の世代に送る。それを必ず言い伝える。

自分だけが恩を受けて、次世代の分まで搾取するところに人が残らない。つまり、出ていく。人がいなくなるとはつまりそういう事なんだな。

経理をしっかりできると「負債」と「資産」は同額だと知っている。

受けた恩恵は、先代の努力の賜物だし、成功する人はそれと同じだけ努力しているなんて学生時代に学ぶもの。

自分だけがいいとこどりをすると、必ず次の世代が泣きをみることが分かっている人は、次世代の分まで背負う「粋」をもっているもの。