組織や地域が成熟して行くためには・

今は便利になってテレビでもyoutubeが観れるので、球界のレジェンドたちの番組をよく見るようになった。かつての名プレーヤーは、今は現役を引退し指導者になられて後進を育成する立場になっている。そういう人たちが名プレーヤーと呼ばれるようになるにはなるだけの「過程」が必ずある。そしてプロの世界で名プレーヤーとなるには、「センス」や「天性の才能」だけでなれるような甘い世界でない・。

どんな職業でもプロがプロで飯を喰っていくのには当たり前の事だけど「プロの過程」がある。

この間、レジェンドの目撃者という番組でミスタータイガースと呼ばれた阪神が日本一になった時の4番「掛布雅之」さんが出演されていた。

阪神タイガースが優勝した1985年のシーズンがプロ野球人生で一番しんどいシーズンだったと語られていた。そこには「チーム事情全体を把握できる」という視野と、状況の変化で「今自分が何をすればチームが勝つことができるのか」という優れた判断能力を持ち合わせたチームリーダーだったからこそ、かつての阪神タイガースが優勝したんだなということがよく理解できた。

当時チームには、外国人最強助っ人と言われた3番「バース」、バックスクリーン3連発の5番「岡田」に挟まれた4番「掛布」。当然相手チームは、3番と4番の調子を比較してどちらと勝負するかを決める。当然批判は「打って当たり前」の4番の方に集中するが、当時を振り返って掛布さんはこういうことを語っていた。

「自分が個人タイトルの事だけを考えてどんどん振っていけばタイトルはとれたかもしれないが、チームは優勝していなかったと思います。自分の前を打つバースにタイトルを取ってもらって、後ろを打つ調子のいい岡田につなげる4番に徹した」と。

当時、掛布さんを知る「目撃者」はそれを近くで見ていたので、掛布さんが鬼気迫る顔つきで一人で黙々とバットを振る姿や、どろどろになって守備練習をする姿を見ていたと語っている。

掛布さんいわく「だってチームであっても、打席では一人なんですよ。そこは誰も助けてくれないんです。そこは自分が解決するしかないんですよ」と。

だから優勝した時に、監督の次に掛布さんが胴上げされたのはそれの現れだった。

どんな職業でも、「作業ができる人」と「仕事の出来る人」は違う。

掛布さんがチームのことを無視して個人タイトルを獲得しにいくことはできたが、それは一般社会でいうと「作業ができる人」。

「仕事ができる人」とは、組織の現状を分析して「今自分が何をすれば組織がベストに動くのか?」を常に考えて、対応出来て行動できる人。つまり、場面場面で自己犠牲が出来る人。

チームで仕事をするときには必ずと言っていいほど「依存」体質の人間はいるが、チームで仕事をするときほどきっちりと与えられた「役割」を全うしないと組織は動かない。そういう発想はいわゆる「寄らば大樹の陰」で、「誰かがやってくれるからいいや」の発想。個人でやるなら個人で責任を取らされることを組織に押し付けて「うやむや」にする発想は最も組織に不必要。

いくらチームであっても、バッターボックスでは「自分で考えて、自分で打つ」し、飛んできたボールは「自分で捕球して、自分で判断して投げる」つまり与えられた役割は誰も助けてくれないし、助けられない。判断ミスを繰り返してチームに迷惑をかけ続けるとやがて「不必要な人間」になる。そう。世の中は自分の代わりになる生きのいい若手は毎年いくらでも成長しているから。ポジションは与えられるものじゃなくて、自分で勝ち取るものだから。

レベルの低い組織はこの「依存度」と「他責」の意識が以上に高いのに対し、プロの組織は「責任感」とそれを全うするだけの「過程」が明確。

つまり成長し成熟してゆく組織は、それを構成する「人」の「頭と心」が成長して成熟する組織を作るし、その成熟した人が新たに組織、集団を率いる。その過程で新たな組織もまた時代に「対応」して「変化」出来る。

なぜか?

それぞれの「責任」と「役割」を教える事のできる人だから。

そういう人は、「頭」と「心」を成長させることができるから。

成長して、変化し対応できるには常に「自分で考える」そして「行動する」ということが伴わないとあり得ない。

そういう人は「今だけ」「金だけ」「自分だけ」を学ばせることはないし、「お金」で自分の人生を売らない。そして「未来」に繋がることには「タダ」でも喜んで動く。

変化し続ける組織と、おいて行かれる組織とはそれを先頭に立って行動するという「リーダー」が果たすべき本当の役割を知っている人間がそこに存在するか否か、そういう人と一緒に過ごす時間を人生で持ったことがあるか否か。

リーダーは背中で語る。その背中を見た人間がまたリーダーになるのはあたり前やな。