ドラマが起こらないのは・・

今yuoutubeで、引退したレジェンドたちが語るリアルなプロの現場の話を聞いていると、やっぱり面白いし、まあ、自分の職業でも共通点ばかりだなと感じることは多々あるの。

先日は、ミスタータイガース掛布さんと、先日引退した鳥谷さんの対談。

年代は全く違うけど、やっぱりプロとして見てる側を感動させる人たちは、その対価を得るだけのことをちゃんと考えて行動しているのはあたり前。

今の野球の話が面白かったね。

野球の世界「も」どんどんデータ化されていて、守備位置、配球、球種、戦略・・も確率論になっている。そうすると、打たれても「あーしょうがないよね」とどんどんなってゆくから「考えない」野球、「言い訳」が通用する野球に変わって行くことを懸念していた。

データが必要なのは、農業も同じこと。だけどそれは、あくまでも自分で考えるための材料の一つに過ぎない。材料には、経験も勘も感覚もある。その割合をどれぐらいで配分するかもそれぞれでいいが、データでやればやるほど、他人が作ったシステム上に乗っかるほど「ドラマ」は起きない。

野球がどんどんデータ化されていけば、最終的には、どちらが勝つかまでデータ化されてゆくから、もう個性もいらなくなる。最終的手には「データ通りに動く駒」になればいいだけになる。

このなかで鳥谷さんが「だから高校野球にはドラマがあるんですよ。データがないから」と言ったのに「あーなるほどな」と思った。

確かに農業の世界でも、管理農業、データ農業、システムでやる農業は「安全圏」だと思うが結局それは「想定の範囲」が広がって行くだけなのでいずれまたそのシステムが広がれば「みんな同じ」になり、また新たな「誰かが作るシステム」ができれば「過去のシステム」が置き去りになるだけ。

別の機会で、元中日の谷繫さんと元ジャイアン阿部慎之助さんとの対談では、

「その打席(目の前)だけを打ち取ろうと思うやつは、安全圏に変化球投げたり、アウトコースに逃げる球だけ投げてればいいんだけど、結局それは、9回まで、3連戦、1シーズンと考えると、投げるところがなくなって最終的には自分がもの前だけをかわしていると、結局投げるとこ無くなってくんだよな。やっぱり1シーズンで考えないと、リスクを冒してでも攻めた結果は必ず理由が残るから、打たれても必ず次に生きるんだよね」

農業でも、安全圏だけにいくのは簡単だけど、生涯のゴールから逆算して考えることや、1次産業の継続を考えると「今だけ金だけ自分だけ」発想で「後継者育成をしない」のはまさにこれと同じこと。最終的には「自分が」行き詰る。

いくら年をとっても、こういう「経験」を人生でしていないと分からない。年が若くてもこういう「経験」をしていると、安全やシステムに乗っかる「先々に待っているリスク」は最初から読める。だから1シーズンを戦うための「根拠」を集めるために最初はあえてリスクを冒して、「一番最後に勝つために」負けて材料集めをする。だから時間が必要になる。

合理的とか、時間短縮とか、要領よくとか・・最初に「非合理的を選ばないで」目の前の「楽しか選べない」のは、メンタルもフィジカルもそれに耐えられるだけのものがないからだけの話し。プロの世界は、どんな産業でもシーズンを戦うだけのメンタルもフィジカルもそもそもあって当然。

自分で「無駄なことをやってみて」たどり着くのは「合理化」だけど、それをやらないでやるのは合理化じゃなくて、「合理化したひとのマネ」にすぎないので、システムが変化したときにシステムごと全部過去に置いて行かれる。

情報がありすぎることで処理能力が伴わないと、頭ばかり大きくなって結局「情報にあやつられる」

情報は現場を動かすためのツールでしかないので、まあ昔からよく言う事だけど、「手段が目的」になると、金太郎飴になるのでどこを切ってもおないモノしか現れない。味も、見かけも、話も同じ。そんなものに感動は起こらないね。

人が感動するのって「上手く見せよう」とか「言われたとおりにやってます」じゃなくて、「失敗したけどやり直す姿勢」とか「一生懸命にやる姿勢」

だけどそれは「上手く見せる事が目的の誰かを意識してるだけ」「顔色をみる必要のある誰かのため」であって、「自分がこうなりたいから」行動してるのとは全く目的が違う。