群れないことの大切さ


 以前、ダルビッシュ投手が「調子のいい時が実力じゃなくて、調子の悪い時が本当の実力です。だから、調子の悪い時にどういう練習をするのか、どうやったら抑えられるかを考えないと本当の練習にならない。その時点で、そもそもやる練習量や、内容がもう間違ってます」と話してたのを鮮明に覚えている。
 これは、自分が学生時代にも同じことを言われた。そもそも現状認識が間違ってるものを、どんなに練習しても時間の無駄だと。現状を認識し、目標との差異をまず認識することが出来てないと。
 様々な手助けや、補助や、協力が当たり前だと勘違いしてしまうと、言葉や態度が本当の自分を上回ってしまう。本当の実力はそうでもないのに、それが出来てるものだと勘違いしてしまうと、手を抜いたり、安心感がついつい顔を覗かせるもの。「安心感」ほど安心から遠いものはない。
 
 いつも群れで行動していると、依存が常態化してしまうのが一番恐ろしい。
 
自分の感性や、判断力は常に訓練していないと衰えてゆくもの。
そうならないためには、「常に」判断や決断、反省、などは「自分で」行わないと鈍って行くもの。そして、衰えは一気に進まないのでさらに気づかないが、気づいたときには手遅れになる。
毎日、毎日訓練しているからこそ「微妙なズレ」に気付き始める。だから、早めに対処できるもの。だけどそこには「意識」して常に何かに取り組んでいないと気づかない。
 対処するためには、考える、反省する、学ぶ、訊くという行為が発生するがこれらは全て「自責」の念がスタートであり、「他責」がスタートではこういう行為には至らない。仕事は本来全部、自分がするべきものなので、助けてもらったり、教えてもらったりすれば「感謝」の言葉は出ますが、助けがないのが本来当たり前なので、助けがなくても「文句」は出ない。それは、すべて準備不足の自分の責任でしかないわけだから。
 どういう人たちから、どういう言葉を聞いて成長するのかは行動に、そして姿勢に大きく影響するんだなと思いますし、耳に入ってくる言葉も大きく変わるものだと思う。