知っていることの意味

最近読んだ本で、なるほどなと頷いたこと。

本当の意味で「知っている」というのは「頭で知識として知っている」のではないということ。
これは陽明学の「知行合一」つまり、「行わないというのはまだ知らないということ」であり、
「知らない」というのは知識ではなくそれを行った時の「感覚を知らない」ということであると。

これは例えば、美味しいと言われている食品を分析して数値化し、データで美味しいと分かっていても
それを口にしようと思わないが、一度美味しいと経験すればそれを瞬時に手に取って口に入れてしまうということ。

つまり、辛いことや失敗をする可能性を大いに秘めているものであっても、それを進んで行動できるのか、或いは挑戦してみようと思うのかは、同じ場面に出くわした際に頭で考えているだけの人と実際に経験した人とでは行動が異なるということ。

やりもしないでデータや他人の意見やあるいは他人と過去の失敗に捉われていても、「自分で」経験したものとは全く異なる。
今までできなったことは、今までのやり方や経験則で出来なかっただけであって、それならiphoneも生まれないし、日本人がオリンピックの短距離種目でメダルが取れる日が来るわけがない。

感覚で覚えたものはやっぱりその人のものだし、感覚にデータは当てはまらないものも多々存在する。
しかも、本当の意味での感覚って誰にでも当たり前にできることを根拠をもって説明できて、かつ再現性が可能の上に成り立つ「感覚」が本当の「感覚」で、あてずっぽや思い付きと「感覚」は全く違う。