種まき

撒かない種は生えないのはあたり前。

どんなことでも、今までにないもの、行動、考え方などを始めるときに
反対や反発或いは抵抗があるのは至極当然の事だと考える。
ここでそういう反対があった時に必要なのは「論理的な熟考」だといつも思う。
 
反対意見に対して、既存の考え方、方法論と異なるからや、ただ単にそれをやることが面倒くさいなどという
感情的な反対意見に対して、感情的に意見の応酬を行ってもただの時間の浪費だと考える。

反対意見の内容を冷静に論理的に分析すれば、自分にとって「価値のある反対意見」と「価値のない反対意見」に分かれる。

ここで言いたいのは「自分にとって」とか「新たなる行動をとる場合」にどうなのか?というあくまで論理的思考の話。

「ない」と思うのは、その反対意見をすべて順列をおって因数分解して、一つ一つ具体的行動においてクリアーできるものについては、自分の能力で対処可能だしそれはまた対処してきたことである場合は、想定の範囲における反対意見なので反対意見にもはやなっていない。

一方で「価値ある反対意見」とは、感情を抜きにしてそれを理論的に分解して行動計画を立てていったときに、
自分が想定していなかった「不可能な場面」や「行動計画」を見つけられるもの。
これはすごく貴重なまさに「価値のある反対意見」。
これを冷静に分析し、想定出来ていなかったミスの可能性を含んだ後に、それをクリアーする行動計画まで立てられるならば、これはまさに「未知の種」を撒きに投資すべきターニングポイントになると考える。

50年先に咲かせる花の種をまく人は、最初から3年先に花を咲かせようとは思っていないし、そこに行きつくまでの投資を最初から「当たり前」だと考える。が、1年で咲く花の種しか知らないと、5年、10年半が咲かないとそれは種の責任にしたり、土の責任にしたり・・するが、それは最初から1年や2年で咲かない種だと知らないだけの話。
 
1年で咲く花は、1年で枯れる。それは誰でも簡単にできる。10年先に咲かせる花は、10年かけて管理するし、30年かかる花は、30年管理する。年数がかかる大変なものほどチャレンジする人が少ないが、長い年月をかけて咲かせる花はめったに見れるものではないから、その花をみることはめったにない。ただし、滅多にないことと、自分が知らないこと、全くないことは違う。

咲いた花だけを見て、あーだこーだ言うことは簡単なことだが、そこに来るまでに1日も休まない大変さは、やった人にしかわからないもの。
あーだこーだいうだけなのか、ここにくるまでたいへんだったねというのかで、その人の経験値と未来想像性はすぐにわかるもの。