進めば進むほど外せないもの

AI化が進んで、人件費削減やこれからなくなるであろう職業予想などが取りざたされている。
確かに、資本主義の観点から見ればそれは一部当然なことなんだろうなと思うし、競争社会を生き抜いて行く
にはその概念は必要だろうなとも思う。

が、必ずマジョリティーや効率化や新しいもの、資本主義経済だけがいつも正しいのか?と考えた場合
「自分は」そうは思わない派だ。

時代の流れや趣味にしても思考にしてもそこには絶対的な正解等は無く、単にある限定されたな切り取られた地域や時間軸のなかでのマジョリティーとマイノリティーでの正しいか間違ってるかを議論されることが多いだけで、そもそもそこにはその個人の人生観なり価値観が優先されていれば、それぞれの人生観や価値観をそれぞれが選択していればそれに対して正解も間違いもないんだろうなと思う。

みんなと一緒は、管理する側からするとすごく管理しやすい社会になるが、思考も志向も方向性も限られたリーダーのもと「右向け右」になっていくのは危険をはらんでいるし、そのことは歴史が何度も物語っている。

自分のように1次産業を生業にしていると、腕のいい素晴らしい農産物を生産される農家さんほど面白いことに
「共通する基礎基本」とそれを前提とした上での「自分なりのさじ加減・エッジ」を持っている。

これは何も、農業に限られたことではなく他産業においても同様なことを必ず耳にする。

AI化が進んでデータで平均値が上がるのはもちろん産業の底上げには好ましいことだが、その平均値が全部上がってしまえばそのこともまた意味がなくなる時代がいつかやってくる来る。そういう時代には必ず年寄りの知恵や勘や経験が差別化になってくるんだろうなと感じる。そういう時代になると今度は「起源」に近いもの、つまり「なぜそれを始めたのか」や「地球誕生の歴史から今生き残った種の理由」みたいなものをさぐっていかないとその理由をどんどん見失ってゆくんだろうなと感じる。

以前棋士羽生善治さんがテレビでこういうことを話されていた。
「AI将棋がどれだけ進んでも、数年するとやっぱり勝率って2割ほど落ちるんですよ。つまり、人間はエラー部分に必ず理由が存在することを考えないといけない」と。

また、江戸時代の将棋の棋譜を熱心に読み返して「我々が積み重ねてきたことだが、この時代の将棋つまり、原点に近いものがすでに新しいものがある」と。

一次産業も全く同じように感じる。