大局観の大切さ
なるほどね・・・
最近読んだ本の内容でね、面白いなと思った内容。
センスの悪い国で精密なマーケティングを行えば、センスの悪い商品が生産されて、センスの悪い商品がよく売れる。
センスの良い国で、精密なマーケティングを行えば、センスの良い商品が生産されて、センスの良い商品がよく売れる。
商品の流通がグローバルにならなければこれで問題はないが、センスの悪い国にセンスの良い商品が入ってきた場合、そのセンスの良い商品に触発されて目覚め、よそから来たそのセンスの良い商品に欲望を抱く。
しかし、その逆は起こらない。
ここに大局観をみる手がかりが存在する。
問題は、「いかに精密にマーケティングを行うか」ということではなくて
その企業が対象としている欲望の水準をいかに高水準に保つかということと同時に
意識し、こういう点に戦略を持たないとグローバル化した現代において、その企業のもつ商品が優位に立つことはない。
これは、何も企業戦略に当てはまることだけではない。
会社の経営においても、経営者が大局観を持ち合わせていないと、会社の経営においても陥ることだし、人口が減少し続ける場所にも同じことが言える。
一方で、減少する地方や産業にも関わらず、きちんと新たな次の世代が入ってくる会社や地域は、対局感をしっかりと持った次世代にマッチした戦略があるからだと思う。
そもそも大局観という概念を持つには、他者、異文化、異なる概念など
自分の知らないことが存在するんだという「教養」という概念を持たないと、その人には大局観という概念はそもそも存在しない。
ある会社の常識が、他の会社では非常識。あるいは、その地域の常識は他の地域の非常識だということも同様で、他の組織や集団を知っていれば世間での常識がそこで通用しない常識だと気づくが、同じ組織にずっといるとそういう相対化は困難になる。
つまり、「狭い世間」の常識が、社会という「広い世間」の常識と異なることに気付けない。
それを解決するには「自分が所属している狭い世間の掟」を自ら見抜けるだけの異文化体験を持つこと。異文化に触れた際に、それを現実として受け入れるだけの度量を持つこと。
また、目の前でまかり通っているルールや評価基準を相対化、客観視して見るだけの「知性や教養」を持つしかない。
それは、他者がすることではなくて、自分がすること。
なぜならそれは、判断基準は人それぞれ、会社においては経営戦略や方向性が異なるから。
そして、未来を担う人材は、それぞれの自分の考え方と合致する企業や社会に身をおく。だから、差別化できない組織や、弱みと強みを客観視できない組織、売る上げを上げることに必死で社員がそれに疲弊していることに気付けない組織などはもう選ばれない組織になっているんだなと感じる。