すごいなぁと思えることは幸せだと思う
自分も就農してからもう20年になる。今年で50歳になる。
バカボンのパパが41歳だから、もうかなり後輩になるんだな・・・w
農村地帯では、50歳は「若い人」だし、いまだに「よそ者」だし、
いまだに「新規就農者」と言われる。
世間一般社会では、学校の現場なら教頭先生或いは校長先生の年代だし、勤めていれば部長、課長の年代でいわゆる「管理職」と呼ばれる。
年代的に言えば、現場に出るのではなく、部下の「方向性」や「指導」、そして「人財の育成や教育」というのが評価の対象になる。
つまり、頭の引き出しの多さや、責任の有無が問われる年代だ。
まさか「若い人」とは言われないし、普通に就職して5年もすれば後輩がいるので、先輩、上司から「お前何年やってんの?」と言われるのが当たり前。
そんな年になったんだと思う。
なぜ、そんなことを考えるかというと、自分の周りには、自分よりも若くても
「すごいな!」
「できるな!」
「いやー新しい発想やなー!」
と思える人がいるから。
自分は、自分の方が年が上だから自分が正しいとは全く思わないし、むしろ、年が上なのに知らないことや、出来ないことの方が恥ずかしいので教えてもらう。
聞くは一時の恥だけど、知らぬは一生の恥。
頭の引き出しがあって困ることはないが、なくて困ることは、年代が上がるほど高まってゆくもの。
物忘れがひどくなったのか、やることが多くなったのかは定かではないが、忘れることが多くなった。
忘れることが多くなったことが問題じゃなくて、忘れることが多くなったことを認識するのか否かが重要で、だからなんでも忘れないうちにメモしたり、携帯のスケジュールにすぐに書き込むようにする。
もういいおっさんなので、体力も感性も、「自分が思っている」ほど大したことないんだよなw
でもそれを自覚しないと、時代遅れの感性を押し付けたり、無理してケガをしたりするもの。
方向性を確認し、自由に考えさせて行動させないと次世代は育たないし、行動させて経緯観察してからでないと「叱る」こともそもそも出来ない。
出来ないことは聞き、結果が同じであれば今に合ったか形に変化させればそれでいい。
出来ないのであれば任せるし、任せたものは口出ししたら、任せられたほうの「モチベーション」が下がる。それは、やる気のある人間やモチベーションの高い人間ほどそう思うもの。
モチベーションを活かせないのは管理職の管理不行き届きと評価される。
その時に必要な管理能力が「任せる」ことと「尻ふき」が出来るかどうか。
若い人たちの能力が無いんじゃなくて、活かし方が時代遅れだと活かせないだけの話なんだよな。
いつの時代もそれは同じだと思う。
だから人の集まる場所と集まらない場所があるんだよな。
集らないのは環境のせいでもないし、田舎だからでもない。
自分のところに集まらない、自分の言うことを聞かない、自分のもとで育たない本質は「自分にある」と理解していなから。
「今までの自分」に固執し、捨てられない、変われないから。
今、新たに農業を始める人達の発想はなんか全然違って面白いし、違う発想を知ることは楽しいし、変化する自分を見ることも楽しい。
自分よりもすごいなあと思える人がたくさんいることは、それだけ自分の可能性もまだまだあると思えたなら楽しいのにね。