育つ環境、育たない環境

今世の中は人手不足。

そんなことは一部の特殊な環境を除いては、常識だ。

運送業も、飲食業も、建設業も・・一様に、「人いないんだよね」と。

総人口は微減でも、労働生産人口はそれを上回って減少しているのでそれはあたり前。

 

環境が変化して、社会構造が変化して、それに伴って常識も変化する。

常識が変化すると、それに伴う変化や対応力が求められる。

 

今まで「みんな同じ方向」「みんな同じ生き方」から

職業の壁、時間の壁、知識の壁、国境の壁がどんどん取り払われてゆくと

リアルな現実がどんどん分かってくるが、壁の中に閉じこもったままだと

その変化には全く気付かない。

 

今を生きる人は、今の環境が当たり前で、未来に向かって思考を巡らせないと

投資の方向性が狂う。

そんな中では、今までの「当たり前」が当たり前ではない。

 

特に「若い奴が年寄りの言うことを聞くのが当たり前」だとか

  「今までがこうだったから、こうするのが当たり前」だとか

  「ここではこれが当たり前」だとか

答えがない時代、答えはそれぞれが探し、それに対する手段をそれぞれが模索し

、それぞれがその瞬間瞬間に気付いて対応する時代。そういう場所、環境、そしてそういう考え方の出来る人に今の若い人たちは興味を持ち、集まる。

 

それぞれの頭の中、人生のニーズにあった場所を探しているんだと思う。

だけどそれは、今の環境、今からの時代に対応して生き抜こうとしている人から

学ばない限り気づけない。

自分が学び、変化、対応して行かないと、それは次世代にとってもはやそれは学ぶ場としての選択肢から外れる。

そういう場所には魅力を感じることはないので、人が集まらないし、人は出てゆく。

人が学びたいと思う場所は、学び続ける姿勢をもった人だから。

 

学ぶことでしか成長しない。

それは、そういう環境に身をおいた人でないと気づくことはない。

先に行く「自分が思う、先輩と思える人」はそうだ。いくつになっても魅力的だし、頭も柔軟。だから経験を活かしながら変化する。そういう姿勢はかっこいい。

 

誰かが言ってた。

「先輩って後輩ができてはじめて先輩になれるもの」って。

確かに、この人に学びたい、この人のために働きたい、この人の話を聞きたい、この人のためなら・・・と思える人は先輩だが、そうじゃないと「年輩」。

 

人を集める魅力のある「先輩」はみんなが学びたくて集まるので

「先輩づら」など絶対しない。もちろんする必要もない。勝手にどんどん後輩ができてゆくもの。

言うことを聞かない、賛同してもらえないから「先輩づら」する必要が出てくるもの。

そういう環境に人は集まるのか?

人が育つのは必然だし、育たないのも必然だと思う。