幸せの基準

農業を始めてもう20年ほど。
最初は血のしょんべんが出るくらいがむしゃらに働いていたけど、今それやったら3日で白目剥くw
そもそも、こっちの短大に社会人入学してた時は、大学行きながらコンビニと深夜の温泉バイトやってたから、平均睡眠時間なんて3時間くらいしかなかった。それでもその時は若かったし、体力も余裕であったからできた。

でもそんなことは永遠に続くわけはないし、今はもう「努力と根性とうさぎ跳び、水飲むな!」が通用する昭和じゃない。平成ももう、「30年」経過したことは事実。世も世なら、通用してたことも通用しなくなるのは必然。
肉体の老化は必ず平等にやってくるし、一瞬の閃きや瞬発力が劣ってくるのもまた必然。

自分の変化はもちろんの事、世の中の変化に従ってどう変化してゆくのか、或いは変化しないのか?
「人がどうするから」「周りがどうするから」ではなく、「自分はどうしたいのか?」をしっかりと持っていないと、錯綜する情報の中で、グローバル化する、「解」が多様化する中では「自分がどうしたいのか?」をしっかりと持たないと
「one of them」になってしまう。

小さなコミュニティーで生活が成り立ち、終身雇用が当たり前で、働けば右肩上がり、寄らば大樹の陰の時代はもう昔話。世界を席巻した日本の大企業でさえ、今はもうレッドオーシャンの世界の血みどろの戦いに敗れる時代に入った。

一方で、小さな町工場や個人事業でも「only one」の会社が逆に世界で求められる時代に入った。
これは簡単なことで、情報化社会によって今まで存在していたけれども知られなかった「本当にいいもの」が世に知られるようになったんだと思う。

こうなってくるとなおの事、only oneやjホンモノは一朝一夕にできるものではないので
「これまでの準備の差」、しかも基準を「今とこれからの未来」に対して準備してきたか否かの差が出てくる時代に突入したんだなと感じる。

「自分とかかわる人たち」が幸せに、心が満足するためにどうするのかは、お金を稼ぐのとはやはり違うと感じるので、稼ぐだけではやはり幸せにならないよね。

最終的には、ハードの充実ではなくソフトの充実。
これに尽きると思う。