意識

EU産のワインの関税の撤廃により国産メーカーのEU産ワインの値下げが決まったそうだ。
当然消費者にとってはありがたいことだと思う。

世界とつながる現代においては、容易に世界中の情報が手に入りまた、格安航空チケットで昭和には考えられなった価格で海外に行ける時代。便利さを享受できるということは、反面、世界が動くことによるレスポンスを上げておかないとその場その場での対応ではもう限界点を迎えているではなく、限界点をすでに越えたと感じる。

高校野球でも、球数制限の話が出てきた。
自分は、当然の事だろうと思う。高校生から鳴り物入りで入団したピッチャーで手術なしで活躍出来ているピッチャーがどれだけ少ないか?むしろ選手生命の長いピッチャーは、プロに入ってからじっくりとプロのレベルでプロの体つくりをした選手の方が長いのではないか?

昭和の「努力」」と「美徳」は大切なことであるが、それに重きを置くあまりこれからの時代に対応できなくなる、或いは未来ある次世代の人たちの人生をその「美徳」や「努力」で潰してしまうのはいかがなものか?といつも感じる。

「常識」は時代により、場所により常に変化している。自分が学生時代の時は「辞書をひく」のが当たり前だったし、電話番号をなん十件も暗記していたもの。
だけど、ネットやスマホの出現によって辞書をひくことも、電話番号を覚えることもなくなった。
だからっといって、スマホ使うな!辞書ひけ!とはならないし、肘つぶれるまで玉投げろ!倒れるまでがんばれ!ともならない。

なぜか?
そういうことが許されない時代になったから。それが常識になったから。
ただそれだけです。現実がそうだからです。

ただし、この現状は一気に変化したのではなくて、昭和から現在に至るまでに30年間という長い時間をかけて変化してきたということもまた事実。その変化を感じ取るか取らないかとか、行動したかしなかったかは全く別の話で、「事実」は30年全員に平等に変化を伝えてきている。
30年といえば、ほとんどの人の人生の1/3の時間であり、これもまた事実。

微妙な変化や違和感、風向きの変化を感じとるという「感性」は一朝一夕に育つものでは決してない。
日々の「自分なりの」そこを感じ取ろうとする「意識」と「訓練」の「繰り返し」でしか身につかない「習慣」。

それを感じ取れるから「準備」が出来るが、「意識」していないと感じ取れないので「準備」ができない。
感じ取れないのと、変化が起こっているのとは「感性と現実とのギャップ」でしかないので、そこを「意識」してこれ埋めないと絶対に埋まらない。

こういう言葉がある。なるほどなと同意した。

今あるのは、過去のどこかで「今」やらないとと気付いて行動」を起こした結果。
「今」気付いてする行動はは未来の「今」があるためのもの。
「今」がないのは過去の「今」を気付かないで行動しなかったから。
「未来」がないのは「今」気づかないで行動しないから。

気付かないと行動もないし、気付くためには意識が必要だし、気づいても行動しないと何も変わらないし、行動しても質と量と方向性が誤っていると結果が出ない。
でもこれ全部、他責じゃなくて自責だし、未来で嘆くなら今やるけどね。