感動分岐点

今年も新年を迎えることが出来ました。

1月は、箱根駅伝高校ラグビー大学ラグビーはじめアメリカンフットボールライスボウルなどのウィンタースポーツが目白押し。
ラグビーワールドカップも平昌オリンピックも同様、感動し、心動かされた。

スポーツに心動かされるのは、やはりそこに至るまでの苦労や挫折や痛みや苦しみがあるから。
何の苦労もないものに対して人は感動もしなければ同調もしないし、心動かされることもない。

一方、心動かされたものに関しては無条件で応援したくなるもの。

これは他産業においても同じ。
何の苦労もなく得たものに対しては人の心は動かないだろうし、口から出てくる言葉もそれなり。そして、背中も同様にそれなり。

男は50過ぎたら生き方が顔に出ると言われるが、まさにそう思う。
顔にも背中にも言葉にも全て出ると思う。

自分が動けなくなっても指導者として成功する人は、自分がやってきたから。
自分がやってきた人は、必ずそれを支えてくれる人がいたから。
そして、心動かす言葉を沢山もらってきたからだと思う。
そしてまたそういう人は、人の心動かす言葉を沢山持っている。
それは自分がつらい思いをしてきたからだし、そこから立ち直ってきたから。

金の価値で人生を考えて動く人は、自給が合うとか合わないとかの話になるがそれはそれでいい。
自分も、心動かされない人に対しては全く協力はしようと最初から思わない。
だけど、必死にやってるけど方向性が分からないとか、何とかしたいけど協力してほしいとか
なら自分の時間なんて全く惜しくない。
いくらでも協力しようと思うし、だんだんとそういう熱のある人に自分も引き込まれてゆくもの。

それは自分がそういう人に出会ってそうしてもらって、今があるから。

心動かされる人は、またそういう人を呼び込んでまたそこから新たなものを学んだり、
次の世代にもmindをバトンとして渡して行くんだとこの時期には学ばせてもらっている。

これだけは絶対に忘れたくないもの。