何を学びたいか

以前、林家たい平さんがなぜこん平師匠に弟子入りを志願したかということを
ラジオで話しておられました。

「こん平師匠はすごく気遣いがある師匠なんです。ほかの弟子が気付くよりも早く灰皿がでてくるんです。
 別にだからといって弟子を叱るわけでもない。

 落語を学んだり、話術を学べる師匠はたくさんいるんですけど、人生を学びたいと思ったのは
 こん平師匠でしたね」と。

確かに、20代、30代なら金を稼ぐことや見ばえにも多少魅力を感じたが、もうそう話題しかない人には
「自分は」全く魅力を感じなくなった。

今年49歳になったが、50歳は「知命

つまり、自分の人生において最も重要なのは何かを知るということで、
「自分はどのような役割をもってこの世に生を受けたのか」を知るということらしい。

金の稼ぎ方は下手だから、全くもうからない零細企業の経営者なのでそれは他の立派な経営者に
話を聞く方がよっぽどいいと思う。

見せかけをよくするのも所詮は「メッキ」なのでいつか剥げるもの。
実力以上の評価は何の意味もなさないので、地位も名誉も、評価も全く興味がない。

農業をこの地で初めて19年だが、うちから5組の新規就農者が独立していった。
幸い、みんなよく働くし経営も順調そうで、もうすぐでしに抜かれるなと思う(笑い)

だからといって全然足を引っ張ろうとか、ねたむとか、嫉むとか言う感情は無いので
そういうことをする人間の頭の中が理解できない。

結果の差は準備の差 なので、結果を出す人間はしっかりと準備が出来ている証拠だから
結果を出し続けているのは、準備つまり自分に投資してきた結果だから。

むしろ自分は、近くにいる「元 弟子」にいろいろ情報をもらえることに感謝するくらい。

しかしこれも、「元弟子はいつか聞ける師匠」を育ててきたからこそ。

そして6人目の研修生はうちの正社員として今現在、うちに会社の右腕である。

結局のところ、お金は銀行振り込みで都市部から振り込まれても、それを時代に応じた形で
運用する「人」は振り込まれるわけじゃない。
育てない限りそこには存在しないもの。

お金で人は育たない。人を育てるのは「ひとの心を動かせる言葉と背中」しかないと思う。
それを持っているのは、同様に心を動かされる言葉と背中をみせてもらえた人に出会えたかどうかだと思う。

今うちを卒業した元研修生がもっともっといい経営者になってもらいたいし、どんどんうちを抜いて行ってもらいたい。またそこで自分のないものに気付くことが出来るだろうし、いつまでもライバルがいることがモチベーションを維持することにつながるから。

あしの引っ張り合いをしてもそれは自分で自分を貶めることにしかならない。
どうせ同じ時間を過ごすなら、お互いが学び合い、高め合う時間にをこれからも費やしたいもの。