俯瞰力 1

俯瞰力・・物事や状態の全体図を客観視することができる能力

つまり、俯瞰力を有しているということはまず、全体図が見る能力を有していないと物事を俯瞰的に捉えられない。かつ、客観視するには主観的視野から離れて物事を捉える必要がある。

中学高校と母校は野球の名門校で、全国から甲子園に本気で出たい、プロ野球選手に本気でなりたいという人間が集まる野球部だった。中学野球部の体験入学で、腕立て100回、腹筋100回というのは未だに覚えているが、そこを目指す環境ではそれはあたり前のことだった。

当然、小学生レベルでチームのキャプテン、エース、クリーンアップだったという人間が当然のようにいるし、先輩、そして後輩も毎年そんなレベルの人間が入部してきても何の驚きもないような環境だった。当然、自分は全くレベルが違う場所で、レベルの違う野球をしているのでプレーヤーとしては役に立たない。お呼びでない。いてもいなくてもいい選手。2軍に入るどころか練習について行くだけで精一杯だった。自分はピッチャーだったが、同級生の二人は中学生ですでに178センチ以上あったし、球速も変化球も同じ人間が投げているとは思えなかった。

しかし環境が人を育てるもので、いつのまにかその練習レベルが当たり前になってくるし、中学生の頃は練習以外に電車を途中下車して片道5.5kmの道をほぼ毎日、足腰を鍛えるために往復走って学校に通った。当時の2軍(3軍か?)キャッチャーと毎朝ブルペンで投球練習もした。たぶんあの頃は投球制限とか科学的な見地など全くなく、努力と根性とうさぎ跳び、水飲むな!の野球部だったから、毎日150球以上は軽く投げていたんだなと思う。結果的に大学時代にそれが引き金になって、自分の肩の投球規定回数を超えたので肩の鍵盤がボールを投げた瞬間に「プチ」っと音をたてて切れたW

それだけ練習しても、全く足元にも及ばなかった。全然レベルが違った。当たり前だわ。上手い人間は上手い理由があるから上手いわけで、練習の仕方が分かっているし、本気度が違う。なぜなら彼らは自分と違って「本気で」甲子園に出たいんだし、プロ野球の選手になりたかったんだから。そしてそのためには、高校でレギュラーになる必要があったわけだから。

しかし、全然レベルの違う人間でさえ、いやレベルの違う人間だからこそ自分が通用しないレベルを理解していて、高校の野球部に入部しない人も多々いた。当然、高校野球部は名だたる中学野球部のその本気度の人間が集まる場所だから、更にレベルは全く違う。当然、自分の努力の限界は、名門中学野球部では練習について行くレベルだった。

時間は有限で、中学生でもちゃんと目標をもって本気で行動する人間は、すべての人生のその時間を野球に使っていた。下級生でもどんどん自分よりうまい人間が入部してきた。グランドの中では先輩、後輩など全く関係ないし、どれだけ努力したかも、練習したかも、何年やっているかも関係ない。

評価はすべて結果のみのすっきりした世界だった。

当時の監督は自分たちみたいな人間がミスしても

「悔しがるのは練習したやつだけや。悔しがるひまあったら練習せえ!」やった。

自分は、中学生の時にそういう世界を知ったことは幸せだった。

 

続く・