知行合一

知行合一という言葉がある。

これは陽明学の「行わないということは、まだ知らないという事」という意味。

「知らない」というのは、頭でっかちでいるといつも「知識」で「知る」ということを「知った」と認識したがるが、「知らない」というのはそれを行った時の「感覚を知らない」という事を意味する。

分かりやすく言えば、野菜の成分や、ビタミンや、旨味などをいくら成分表示すれど、どこの誰べえさんが、どこでどうやって作った野菜ですよ、だから美味しいんですよと言うよりも、食べてみれば一発で答えは出る。

分析や、情報で美味しい「だろう」と分かっていてもそれを食べたいとは思わなくても、一度美味しいと知ってしまうとそれを手に取るようになる。

つまり、どんな辛いことでも進んで出来るかどうかは、頭で考えているだけで結果を「想像しているだけ」なのか、「実際に体験したか」でその後の行動が異なるもの。

それは、一度経験すると結果を想像しやすくなるから。

これをもとにすると、経験という概念も人によって全く違う。

行動を起こして「感覚として知っている」ことを蓄積する時間を「経験」と意味している「経験」という言葉の意味と、行動を起こさないで「頭の中だけ」で「知ったつもり」になっているだけの時間の蓄積を「経験」という言葉で表現している「経験」という意味は全く異なる。

前者は「伝える手段や言葉、感情表現を持っている」ので「伝わる」のに対し、後者は所詮、本で読んだ、他人から聞いた、googleで検索した、「他人の表現方法の受け売り」でしかないので「伝わらない」。

伝わらないから、共感を呼ばない。

経験するという本当の意味は、与えられることにいくら時間を使って過ごしたかの蓄積じゃなくて、自ら体験する、行動する。その結果「自分の感覚としてどうだったか」の蓄積が本当の経験であり、知ることなんだよね。