感性

コロナで世の中が一変してもうすぐ1年が経とうとしている。

この間、様々な変化が日常生活で起こった。そしてまだその状況は続いている。

我々の産業である農業という現場でもその影響は大きい。

飲食業、観光地の売り上げの減少はそこに材料を供給する我々の出荷もストップしたし、それにまつわる関係者の方々の仕事も減少した。

また、学校給食がストップしたことで給食として供給していた生産者も供給がストップした。

が、1次産業はボタンを押して成長がストップするわけでもないし、ボタンを押したから明日には食べることが出来るトマト、米、アスパラ、キュウリ・・が出来るわけじゃない。20日大根でさえ口に入るまでには種をまいてから約3週間「も」かかる。

医療の現場も食の現場も同様、「命」に係わる現場は、いくらITが進もうと、PCを使いこなせようと「人」と「感性」は必要。

もしそれが不必要でも出来るというのは、生きている相手をみる「感性」が不足している証拠でね、腕のいい一線級の農家ほどいくら規模を大きく経営していても「細かい」仕事をこなすものだ。

「感性」のいい人の共通点は農業に限ったことじゃなくて、スポーツの世界でも、サラリーマンの世界でも全く同じ共通点が必ずあるもの。

感性のいい人は

「人の責任にしない」

「ミスのリカバリーを自分で判断する」

自分で「判断する」というのは全部を自分で決めるという事ではなく、いろんな話や意見や考え方は聞くけれども「最後に決めるのは自分」だから責任転嫁することはない。

そしてそういう人は「今までと違う意見」「自分と違う意見」「そりの合わない人間の意見」ほど聞けるもの。

「好き嫌い」と「正しいか間違っているか」は全く別物だから、その辺の判断能力の高さは別次元で、感情に流されない「勘定」で判断できる能力。

責任転嫁できないのはあたり前だから当然取り組む姿勢も必死だし、真剣だ。

真剣に取り組む「姿勢」がまた共感や応援団を呼び込む。

それと決定的に違うことは次の2点だ。

「自分の目標設定が明確」なことと

「常に、何事に対しても意識」して行動しているという事。

手段が目的だと、目標や行き着く場所はそもそも定まらないのはあたり前。

環境が変化すると加わるベクトルの方向性が変わるが、手段ややり方が目的だからどんどんゴールからズレ続ける。その修正を周りにさせる、依存する。

でも、ゴールだけは自分しか決められないし、そもそもゴールのない行動はとれないのが当たり前だ。

自分がたどり着きたい「方向」に向かっているかどうかを常に「意識」していないと、やっていることが「無駄なこと」なのか「時代感覚からズレているのか」あるいは「ズレ始めているのか」気づくこともない。

常に「意識」して行動していると微妙な変化に対応するだけで済むから、投資も時間も労力も最小で済むし、回復も早い。

が、言うのは簡単だけどこれが一番大変な事。

これをやるにはいつもいつも現場で変化に気付くべく「五感」と「時間」を使うだけの「精神力」と「忍耐力」が必要だし、そもそも使える「五感」になるまでに使う「時間」と「忍耐力」を経て初めて「気づき」が発生し、リカバリー能力や判断能力が身につくものだから。

コロナがまだまだ終息の気配がない以上、今までと同じは続かないのはあたり前。

今までにない判断と、今までにないスピードと、今までにない行動力を持ち合わせていないと、今までにない今からは、自分に味方してくれないな。

やることは相変わらずいっぱいあるけれど、幸い自分の身の周りには「チャレンジし続けてきた人」とそういう人たちは今からも「チャレンジし続ける人」たち。

そういう環境で育んだ感性でないと本当の感性は育たないんだな。