プロとアマの明確な違い

プロとアマチュアには明確な違いが存在するのはあたり前のこと。

プロはその「仕事の成果」で飯を喰っているのに対して

アマは「仕事の成果」で飯を喰っているわけじゃない。

ということは、「出た成果」の良し悪しによって食える飯の量や質が変わるのはあたり前の話。

良し悪しがあるということはつまり、「同じじゃない世界」だという事。

「結果の差は準備の差」と言われる様に、それは全て「準備の差」だという事。

じゃあ「準備」って何なのか?

端的に言ってしまうと、それで飯を喰っているということは「判断」や「責任」そして「結果」を最後の最後に「他者」にあるのはアマだし、「自分」にあるのはプロだと思う。その「判断基準」や「責任がとれなくなった時」に引退するのを「自分で」決められる日までその「準備をし続けている」のを準備だと思う。

結果の責任を負うってことは、正直しんどいもの。だけどそれがそもそも当たり前だからそこに「求める結果を出すための努力」が存在するし、それが仕事。出来ないのは自分の能力不足だから、それはプロとして「目標設定レベルを落とす」か「努力の水準を上げる」の2択のみしか存在しない。

いくらプロであっても、完璧など存在しない。それは生きてる世界がプロだからであって、アマは責任が自分にないしそれで飯を喰っているわけじゃないから「成果が出ているように勘違いする」

いくらダルビッシュ投手でも、田中マー君でも、柳田選手でも・・いつも3冠王完全試合をするわけじゃない。ぼこぼこに打たれることもあるし、3三振もある。結果は良くても悪くても自分に返ってくる世界は常に孤独だし、競争社会で生きてくわけだから傷のなめ合いなど存在しない。仲良しごっこは狭い世界での傷のなめ合いで、それは小さくまとまったアマの世界でしか通用しないもので、最終的にはそれが足の引っ張り合いに繋がってゆくことに気付かない。

9回ツーアウト満塁で1打逆転の状態でにいつもそこにいるのがチームの4番だし、そこで打つのがチームの柱の仕事だし、エースや抑えの切り札はそれを抑えることが仕事。

もちろん毎回抑えられるわけじゃないし、毎回打てるわけなどありえない。

1流のバッターでさえ、3冠王でさえ、首位打者でさえ打てる確立なんて所詮3割で、7割は打てない。だからこそ期待感が高まるし、観ていてはらはらするもの。逆にピッチャーの側からすると7割は抑えて当たり前だけど、守る側にはエラーも存在するし悪送球も存在するので1つのミスも許されない。

この場面で結果の前に「よし、俺に打たせろ!」とか「よし、俺が抑えてくる!」って言える奴がプロとしての準備をしてきた人間で、この場面で「ピッチャー交代してもらえます?」「代打出してもらえます?」ならもうチームにとっては要らない。

よく交代させられたピッチャーがベンチでグローブ叩きつけたり、ベンチ殴って骨折したりしてるけど(結果チームに迷惑かけるからやっちゃダメだけど)あれぐらいの悔しさがあるのはやっぱりそれだけ練習して準備してきたからで、自分に対しての不甲斐なさの現れ。

こういうプロの真剣勝負だから観ている側も観に行きたいし、期待値も上がるし、ハラハラドキドキさせられる。プロの世界は毎年、イキのいい甲子園の優勝投手や4番バッターが入ってくるので生き残りは必死だし、そこに残れるからプロなんだ。

残るから自分で引退を決めることが出来るし、引退を惜しまれるもの。

でもそれを楽しめるぐらいまで実力で「安定」したレベルになった人だけが本当の「ベテラン」としてそのプロの世界に残り続けて若手の育成をする。体でも心でもそして結果でもプロの水準を満たしているのが「真のベテラン」で、そこから「体」と「結果」が伴わなくなった時が引退。

でも真のプロは「心」があるので若手がいろんなものを聞きに集まってくる。

イチロー選手が言うてはったのがまさにこれやね。

「過程は人を作る上で必要なこと」

農業の世界でも同じやね。

結果はごはん食べてく上で必須やけど、過程と根拠を蓄積しないと次が育たんね。