小さな芽を見逃さないこと

寄らば大樹の陰ということわざがあるが、まああんまりいい意味で使われる事が無い。

植物も同様、陰で育つとひょりょひょりょで弱弱しく、根張りも少なく育つ。

こういう流れに乗っかているのは楽だろうけど、俯瞰的に考察するとそれは凄く怖いことだと気づく・・。

「誰かが考えたこと」「誰かが言ったこと」「この人が反対するからやらないこと」

「みんながやっているから」「昔からそうだから」という流れの船になんとなしに乗っているということは、自分の人生を歩んでるんじゃなくて、その考えをその時点で発言した人の人生観で生きているという事。

自分の感性で、思考で、創意工夫して歩いていると、まあ上手く行かないことの方が多いけど、それが上手く行かない理由も、上手く行く理由も蓄積されてゆく。

上手く行く「結果」よりも、上手く行くまでの「過程」が蓄積されてゆくと、その過程には共通した「芽」があることに気付いてくる。

「芽」がでるには必ず「種」がある。種がないものはいくら水をやっても肥料をやっても永遠に「芽」がでることはない。

物事に変化が起こるにも、時代が大きく変化するにも、それがいきなり起こることはなくて、必ず最初に「種」があり「芽」が小さく芽吹いているが、大きな潮流に乗っていることが自分の実力だと思っていると、それは潮流を作る「虎の威を借る狐」の「虎」の実力なので、その潮流が止まった時には、意識は「虎」で現実の自分は「狐」だと認識する事になる。

昔から「自分の仕事は2割増し」と言われるように、自己評価が一番難しいが、正当な自己評価をするためには、限られた歴史観や社会でお山の大将にならないように、常に「世相」に応じた、また何も行動しないと劣化して行く自分を冷静に俯瞰できる価値基準を持っておかないと危険だなと感じる。

そのためにはいつも自分が学べる人といないと、自分のマイナス要因や、劣等感を感じる「危機感」を持つ「アンテナ」がなくなってしまう。

世の中は必ず「次の世代」が作っていくもの。

それは「新しい小さな芽」がやがて大きく育って、それがいつかは朽ち果てて、またそこから新たな「芽」が出て・・を繰り返すのと同じこと。

寿命と老化はどんなに能力があろうと、大企業の経営者であろうと不老不死はあり得ない。そして、どれだけ強大な権力をもった国家でさえ永遠はあり得ない。それは歴史を学べば分かる。

限られた世界観しか持ちえないと衰退して行く事しか見えないが、大きな社会での現実を見つめると、そこには沢山新たな「芽」が勢いよく芽吹いてることに気付く。

そしてまた大きな変化を起こして行く。

大木もいつまでも大木であり続けるわけじゃないので、いつまでも寄らば大樹の陰の大樹はいつかなくなる。大樹の陰を探し続けるよりも、新たな「芽」になる方が楽しいし、新たな「芽」を摘むことよりも、育つほうが何十倍も楽しい。