「本当の」先輩から学ぶ

反面教師という言葉があるが、当然のことながら教師があっての反面教師である。

ちゃんと未来を導いてくれるように、目の前の安っぽい答えや金を与えるような人間としかかかわってこないと、後々泣くことになるけれど、それはそこに来て気付いてももう取り返せない。答えやお金を出す方が、成長を待つよりも何十倍も楽だから。それは教える側に「本気度」と「愛情」がない表れだとそういう人としか携わってこないとなかなか気付けない。

大学生の時に「お前な、これから生きていくと必ず楽な道としんどい道に分かれる分岐点に当たるぞ。その時に、絶対に楽な道は選ぶなよ。1回選んだら、もうずっと楽な道しか選べなくなるからな。そうするとお前はそれが習慣になって、楽な道を選ぶ人になるぞ」と言ってくれた監督。

「若いときに流さない汗は、年をとった時に流す涙に変わる」という言葉を若い人に伝えられる人は、自分が若い時に汗をかいた人。そしてその逆を見てきた人だから出てくる言葉だけど、若い時になかなかその言葉の意味に気付ける人は少ないし、それはそれを取り巻く環境が大きいなと感じる。

仮に、周りの環境が「勝つこと」を当たり前としている環境だとすると、勝つためにはどうするのか?という思考と行動が当たり前になるし、「負けてもあたり前」の環境だと、そもそもしんどいから、暑いから、休みたいから・・それは全部あたり前の環境になる。それは身の周りの環境が(特に若い時に過ごす環境が)「楽しむ」「勝つ」「次世代に負の要因を持ち越さない」とかいう「正」の要因を作り出そうとする先輩方がいる環境だと、その環境が受け継がれてゆくこともまた「当たり前」になるが、「負」の環境しか知らないで育つとまた「負」の環境を受け継いで行くのが当たり前になる。

感性のしっかりした、若いうちにそういう事をちゃんと学んだ環境で育った後輩が見ているのは「結果」じゃなくて「過程」であり、それは「姿勢」を見ている。

受け継がれてゆくのは結局「姿勢」であり「イズム」でしかないので、それを示す先輩がいない社会は次世代が育たないとは至極当然の話。

年を取ってからが、本当に「何を考えて」「何をやってきたか」が証明されるんだなと素晴らしい人生の先輩方と接していると感じる。

自分がお手本にしたい先輩方の共通項は決まっている

過去を語らず未来を語る。

年下の人間が学びに来る。相談に来る。

行動的。

調和はするけど流されない。

自分の意見はちゃんと持っているし、ちゃんと発言できる。

次世代の人間に任せることは任せて、任せたことは口出ししない。

相談された時だけアドバイスする。

若い時にいろんなことを経験して、その数だけ「ちゃんと」失敗している。

と、結局「自分の人生を楽しんでいる」こと。

多少大きくても、太くても、色を変えても、金太郎飴は金太郎飴。金太郎飴から脱却する方法をまず知る。知っていても行動しないと同じ。行動してもやり切らないと同じ。

答えのない未来に進むには、今までの答えの延長線上じゃなくて、その裏側にある「答えにならなった」ことを知っている先輩方から学ぶ時代になって行くだろうね。