奪い合えば足らぬ、分け合えば余る

お金も、モノも、土地も、車も・・・

目に見えるものの欲ってきりのないものなんだとつくづく思う。

確かに若い時には「物欲」が必要だと思うし、また欲がないとハングリーさもないと思うし、またそれがパワーになって行動する原動力にもつながっていると思う。

が、これがある一定の年齢を超えているのも関わらず(一般社会で言われる管理職と言われる年齢)奪い合う発想しか持たないのはどうも・・・

先日ダルビッシュ投手の特番をやっていたので観ていた。

彼は日ハム時代に、現ソフトバンクホークス監督の工藤さんからインタビューを受けていた際に

「自分は常にテーマを持って練習していますよ。それは高校時代からそうです。だから練習は手を抜かないし、常に試行錯誤してます。だから練習はしんどいのが当たり前ですよね。試合は、その自分のやったことが通用するかどうかを試す場所だから楽しいですよね。練習と試合は別物なので、試合で使い物にならないとそれは意味がないことです。」

日ハム時代から彼は6種類のスライダーを「意図して」投げ分けが出来ていたし、それを聞いてあの名投手の工藤さんが「信じられない!」とおっしゃていたが、野球をしてピッチャーだった自分には何のことだかレベルの違い(あたり前だけどW)にただただ

プロのレベルはやっぱりすごいなと思った。

その彼がメジャーに行くのが決まった後に、交流戦だったかな?当時広嶋カープのエースのマエケンが打席に立った時にマエケンに対して全球種を投げたそうだ。

それを聞いたときに彼は「粋だな」と思った。

その投球には色んな意味が隠されていて、もの言わずとも伝わったんだとマエケンも後日それを語っていた。

そのダルビッシュ投手は非常に研究熱心で、自己分析能力に長けているのはメジャーの中でも有名な話。今年年齢を重ねてもなおストレートの球速も増し、最多勝投手にもなり、サイヤング投手候補の3人に選ばれたが惜しくもタイトルを逃した。

その彼が特番の中でこういうことを言っていた。

「もう自分が出来ることをいくら隠していても、自分だけの技術にしていても、野球界のためにならないし、野球界が盛り上がらないですよね。自分の技術は何でも教えますよ。これからの若い人達がそれで成長してもらった方が野球界にとってプラスですよね」

あるアスパラ農家も同じことを言っていた。

「アスパラ農家どんどん増えて、おいしいアスパラ作る農家増えればいいんですよ。もっとアスパラが美味しいって分かってもらってどんどん食べてもらった方が消費が増えるし、分母が増える方が産業全体でいいことですよね」

結局のところ、そもそも目指すものが違う。

産業全体が衰退すると、自分だけ儲けようと考える人は、その産業のなかにいる「自分」も衰退している渦の中にいることに気付かない。これは我々の年代は人気スポーツが野球だったものが、Jリーグが発足して野球人気からサッカー人気にシフトし、一時野球離れが起こり当時野球関係者が危機感を募らせていたのと同じ。ファンがいなくなると、観客動員数が減少し、それはグッズの販売や、選手の年俸や、付随する関連企業全体の衰退につながる。

 

自分もそういう人の器の大きな人の「背中」をみてきた。

そういう人たちは、自分が得たものを自分だけのものにせず必ず次世代に送る。

それは送るだけの価値が十分にあり、送られる側もその価値が十分に感じるからこそその人を必要とする。だから次世代がそこに集まるし、そういう人はいくつになっても求められる。学ぶことがいくらでもあるから。

自分がその産業で生き残れないからといって、人の時間を搾取したり、金を奪い合ったところで所詮、金にも、人の時間にも、自分の時間にも必ず限界は訪れる。

産業全体の底上げは、はっきり言ってしまうと「先行く人間の責任」だと思うし、

その逆もまた同様だと思う。

産業全体を底上げしながら、その場所で生き残るかどうかは自分の努力と創意工夫でしかない。いつもいつもは「協力」じゃなくて「実力」

緊急事態や突発的な時にみんなでやるのが「協力」

バブルの感覚がいまだに抜けきらない「奪い合い」

もう奪い合うものは残ってない。

人も金も疲弊している現状は「分かち合い」

分かち合うのは金でもモノでもない「目に見えないもの」だけど

目に見えるものだけで生きてくるとそれが見えない。

 

 

 

思考のバランスのとり方

2021年が始まって早や6日目。毎年毎年、1年が早くなってゆくと感じるのは、自分が年を取ってきた証拠(笑)

自分が若い時に、おっちゃんやおばちゃんがよく口癖のようにそんなこと言ってた、まさにどっぷりとその「おっちゃん」になってる証拠・・

肉体労働はいったんお休みし、今は来年に向けての頭脳労働の期間だ。

肉体労働は所詮「作業」なので、それは「計画」がきっちりと立てられていればただ淡々とそれに従い行動を起こすだけ。しかも現場レベルで大きく修正を行うようではもうその年の営農はその時点で終了する。

その中で必ず起こる「不具合」がほぼ毎日といっていいほど起こるわけだが、それを軌道修正し、計画通りに業務を遂行させること、その過程こそがまさに「仕事」。

つまり、その不具合を「いかに微妙なレベルまで」「いかに早期に」発見できるか否かは、この時期における「細部に渡るまでの作業計画作り」つまり「準備」が全てものをいう。

こんなものは学生時代にある程度高いレベルでスポーツでもやっていた人間はみんな理解していること。本番になって素振りしたからいきなりホームランを打てるわけじゃないし、いきなり思い通りのコースに切れのあるスライダーを投げ込めるわけじゃない。

準備なしでそれが通用しているのであれば、それはその環境に自分が囲まれているだけの話で、プロの世界に「準備不足」は通用しないのはあたり前。

通用しないことや不可抗力は必ず起こるが、「人事を尽くした上で」なのかそうでないのかはお互いにプロならばすぐにわかるもの。

それは、プロのキャッチャーが、バッターがボールを見逃す際の僅かな足が地面につくタイミングや、少しの足の開き、踏み込み方の違いだけで配球の読みを見抜いて行くのと似ている。それを読み切った上でのキャッチャーの判断ミス、或いはピッチャーの失投での被打なのか、なんとなく投げての被打なのか(プロにはなんとなくはないが)で、被打(ミス)した後の対策が異なる。

農業もしかり。

日本「の」北海道「の」空知郡「の」南空知「の」長沼町「の」~区「の」何十年の経験「の」ある一定の限られた思考「の」自分が作っている作物「の」・・・

という風に自ら思考のバランスをどんどん狭めて狭めて考えなくても、

違う職業の、全世界の、自分と違う年代もみんな、地球誕生の歴史からさかのぼって今の農業を観れば、見方が全然違う。

「思考の行き詰まり」は、頭のアンバランスから起こるストレスを呼び込むことで起こる。これは例えると50センチぐらいしかない同じ体重の人でしかバランスのとれないシーソーに乗っているのと似ている。

片方が少し太ったり、もう帰ろうといった瞬間にこのバランスは崩れて終わり。

だから双方がいつもその場から動けないし、お互いを規制し続けないと関係性が維持できないすごく「小さくまとまった生き方」を続ける必要性があるし、すごく危険性が高い。

これが仮に、双方が1キロぐらいある棒に何百人も乗っかることが出来る棒でバランスをとっていれば、たぶん手前の一人や二人がいなくなろうとバランスは崩れない。

これが何十本も放射線状にバランスをとっていればもっとバランスは崩れない。

頭の中も同じこと。

一つの方法にこだわる必要が無くなる。

この方法でやってだめだったら次はこの方法でやってみて、それでもだめならこの方法で試してみて、それでもだめなら・・・

と、最初からいくつもの方法を知っていると、手段を「それしか知らない人」から見るとそれは「失敗」に見えるらしいが、プロの世界では失敗をしないように行動する事自体がもう失敗だという事だし、目標を達成するには何回も何回も失敗を繰り返さないとそこに行きつかないのはそもそも当たり前だし、それを試し「続ける」だけのモチベーションも想定の範囲だろうし・・

失敗なんてものは「目標」を達成するための「単なる過程」でしかない。その過程を繰り返し続けた人にだけ得られるご褒美が本当の意味での「確率論」や「細部を観る感性」だから、少しの変化に早くに気付き、リカバリーできるからこそ毎年の「当たり前平均」なんだよな。

こういう経験をもっていると毎年失敗するたびに目標に近づく「実感」をもって仕事が出来るもの。

転んだように見えて、膝擦りむいたもの同士が地面に這いつくばりながらお互い

ニヤッとしながら立ち上がるたびに「目標に近づくためのヒント」をつかみながら、シレっとポケットの中に入れてるもの。

 

日本一になるやつらは・・

大学時代にアメリカンフットボール部に所属し学んだ最大のこと。

言われれば単純なことだけど、気付かずに一生を過ごさないで良かった。

当時のカスチームだった時にコーチが言ったこと。

「日本一になるやつらはな、日本一アメフトの事が好きやねん。

 お前らちゃうやろ。

 暑かったら、アメフトするより休みたいやろ?

 痛かったら、アメフトするより休みたいやろ?

 眠かったら、アメフトするより休みたいやろ?

 上手く行かんかったら、全部人のせい、グラウンドのせい、雨のせいやろ?

 アメフトするより、デート優先やろ?

 そうやねん、お前らはアメフトよりそっちが優先やから弱いままやねん。

 日本一になるやつらは、お前らと逆で、それ全部捨ててでもアメフトに時間割いてるねんで。お前らが知らんだけの話やねん。

 日本一になるあのチームはな、家でご飯食べながらでもテーブルの下で足でタオルを丸めながらご飯食べてるねんで。何のためか分かるか?足の指の感覚と、強化のためや。あんだけ上手い奴らが、更に素早い動きを目指すからそこまでするねんけど、日本一を目指すあいつらの環境はそれが当たり前や。

 お前らは、今の環境しか知らんからこんなぬるい環境でちょっと練習量が増えたぐらいで、やれしんどいやら、暑いやら、休みたいやら言うてるだけやねん。

 そんなんで上手くなれるわけないやろ。上手い奴らは上手い以上に努力する。それは上手い奴らの相手チームも同じだけのことやってるからや。

 お前らおんなじ4年間でこんなレベルでえーか?えーんやったらそれでええねんで。

 決めるのはお前ら自身やからな」

単純なことではあるが、確かにそうなんだ。

 これは今、仕事においても全く同じことが当てはまる。

そう、好きじゃない人がやっている仕事と、好きでやっている仕事とはやっぱり伝わるもの、結果、仕事の質が全く違う。これは年数なんて何の意味も持たないと実感する。

それは、今でもなおTOP OF TOPの方たちの「姿勢」を肌で感じることができる機会があるからで、こういうチャンスを持たないとこういう感覚を感じることはできない。

 嫌いな上手くならないのはあたり前。

 好きになるまでやれば、楽しくてしょうがないし苦にならないものだけど、途中でやめれば何をやっても同じことの繰り返し。

上手い人は、そのことが好きなのは、スポーツの世界も、造園の世界も、農業の世界も、公務員の世界も、サラリーマンの世界でも共通だわ。

今までじゃない優位性

2021年も始まった。

というよりも、自分にとってはゴールに向かっている過程の1年がまた始まっただけだし、ゴールに向かう上で行動できる時間がまた1年減少したというのが本当のところだ。

毎年毎年積み上げ方式でゴールに向かっている発想ではなくて、どの時点でどこまで達成していないと本当にゴールにたどり着けるの?という発想でそもそもスタートしているので、コロナという不測の事態が起ころうと起こらまいと、目指すゴールは全く揺るがない。

変わらないゴールにたどり着くため、変わるのはゴールじゃなくて、あくまで手段だけ。

不測の事態が起こったという事実は、淡々と冷静に受け止めるしかない。それは地球上で全世界で起こっているという事実だから。これは何も自分の職業に起こっているわけでも、おらが村にだけ起こっているわけでも、自分にだけ起こっているわけでもない。

いつの時代も、どんな仕事においても、スポーツにおいても、ルールや環境で優位に立てるものは、所詮一時の話で長続きしない。いつの時代も、どんな職種でも1腺級を維持し続ける人は自己解決力を持つ人。つまり、他者依存やある限られた条件内で通用するという人ではなくて、どんな条件でも安定している「足腰の強い思考をもっている人」だ。

時代が急激に変化するターニングポイントになると、「昔の経験や知識を捨てる事が出来ない人」の方が不利に条件はスタートする。

時代が全く変わってしまうということは、求められるもの、人の価値観、人生観などすべてが変わってしまうとういう事。

従来の延長線上に未来が「あった」昭和時代では、より大きいこと、労働生産効率がいい企業、より早くより安く仕事をこなす企業が「価値」のある企業であったが、世の中の価値観が変化した今、大切にしたいものが変わってしまった。

しかし、これからどこに向かって進んでいくのかは分からないので、今後は大きくする=コスト削減する、より安く早く、給料がいい、などといういわゆる「金」で測れる価値観、言い換えれば金で測ることしかできない価値観は、全てではないだろうが薄らいで行くだろうから、そこではない価値観つまり「金では測れない価値観」に変化して行く世の中に対応して行くために、常にハンドリング可能な範囲に抑えられるかどうか?がキーポイントになるような気がする。

大きくする方が簡単だ。しかし、一度大きくしたものを小さくすることは凄く難しい。

何故か?そこには「辞める」「捨てる」という決断力と責任が発生するから。

これを行うにはすごく勇気がいるが、これを決断できるのは今まで判断を人任せにせず、常に方向性を自己判断し決断してきたか否かがそれを行えるか否かにかかわってくる。

時代が変化したターニングポイントは、力のかかるベクトルの方向性が変化したという事。目指すゴールに対して、今までと同じ「方向性」で力をかけていても設定したゴールには永遠につかない。これは、ラグビースクラムと同じで、まっすぐ押すからまっすぐ押せるわけじゃない。あの中では様々な微調整とベクトルの方向を「確認しながら押している」事実がある。

つまり、しっかりと見定めたゴールに向かうには、変化したべクトルの「方向性」を見極めて力をかける方向性を従来の方向性から変化させるしかない。力があっても「方向性の違う努力は永遠に実らない」。コツコツでも方向性があってれば時間がかかっても必ずゴールする。

何を捨てて、何を取り入れて、何を変えないで、何を変えるのか?

判断力とスピード感と実行力、そして自己解決力が必要とされる年の始まりだなと思う。今までそうやってきた企業は、2020年にきっちりと企業内、頭の中の整理整頓を終わらせたはず。つまり棚卸を終わらせて、不良債権の処理を終わらせたはず。

もうスタートしているのか?今から準備するのか?

ダイエーホークスの工藤監督は、日本一になった次の日からもう始動していた。

「優勝したのはもう昨日の事ですから」と。

大差は微差の積み重ねでしかないわね。

 

俯瞰力 2

大学生になった時に体育会アメリカンフットボール部に入部したが、一番最初にヘルメットをつけて頭で当たった時に「もう、辞めよかな?」と思ったぐらい痛かったW

自分が入部した時、大学の部は3部の一番ビリで毎年最下位争いをするのが「当たり前」の散々なチームだった。が、それが長く続ていたのでもうその状況に慣れていた。

そういう状態が続いていると必ずそういう環境で起こっている事がある。

1つ目は、その状況を不思議に感じなくなること。負け続けることが当たり前になると「負け犬」が当たり前になるので「悔しい」という感情のレベルが格段に低くなる。

2つ目は、それを「どう打開していいのか」客観的に状況を観る視点を持たないので

自分たちがおかしい事に気付かない。

3つ目に、もちろん客観視できる視点がないので、チームの短所、長所、チーム力の分析がなされないので戦略を持たない。いや、持てない。

そういう環境がもたらすのは、朝から晩まで「一生懸命やった」ことや、暑い中で「長時間練習した」ことなどの「自己満足の自己評価」するようになる。

あたり前だ。

明確な戦略を持ってゴールを設定しないと、

「自分たちが成長しているのか否かを評価できる指標がない」し

「努力の方向性が目標に向かって正しく行われているのか」確認できないし

そういう状況でいくら練習をしても

「どこをどう修正すればいいのか」が出てこない。

こんな状態でただ時間だけを浪費して練習してもモチベーションも上がらないし、もちろん上手くなるわけもなかった。

ところが・・

ある一人のコーチが自分たちを、そしてチームを一変させた。

そのコーチは自分たちとは雲泥の差でプレーしていたコーチだったのでまさに「俯瞰的」に自分たちのチームを一瞬にして分析できたのだ。

そこでプレーしていたのは同じ人間だったが、そのコーチが来て我々クソチームに教えたことはプレーが上手くなることじゃなくて

「目標をまず決めなさい」

「決めた目標に対して、数字で行動計画を立てなさい」

「行動計画が数字通りに達成しているのか否か、常に確認しなさい」

「確認したなら、次のステップに進んでいい場合は次に進みなさい」

「進めない場合は、何が原因で進めないのか?じゃあどうやったらそれが出来るように修正すればいいのか考えなさい。」

「メニューは基礎から徐々にステップアップして組んでいるから、目の前のメニューをクリアーしていかないと次のレベルに行っても、必ずクリアー出来ないレベルのミスをし続けるだけだから、ミスの原因が分からなくなる。だから次に進むな」

などというアメリカンフットボールのみならず、社会に出てからも、今自分が生業としている農業経営に対しても通用する

「戦略的思考と行動計画の立て方」をチームにもたらした。

我々は、プランに従ってグランドでは肉体的なパフォーマンスを繰り返し、グランドで肉体的パフォーマンスが終わるとミーティング頭脳で反省と修正のプランニングを繰り返し行った。毎日、毎週、毎月・・。

それによってチームはみるみる強くなった。自分が1年生の頃は3部の最下位争いが「当たり前」の環境だったものが、2部のチームに負ける事が悔しく思えるようにレベルアップしていたし、自分が4年生の時の1年生が2部に昇格し、その後2部でも優勝して1部の入れ替え戦まで出場した。つまりチームの「当たり前の基準が」まったく変わってしまった。

これは全てこのコーチがもたらした

「目標設定を明確にしなさい」

「できないのは全部自分の責任」

「下級生がやらないのは、上級生の責任や。お前らの背中に問題あるからや」

特に自分はチームを預かる主将という立場だったので

「お前がやらんかったら全員やらへんで。お前の背中がチームを決めるねんぞ」

となおさら厳しい立場だったが、弱かった自分が今あるのはこの経験とコーチのおかげでしかない。

「他人に迷惑かけるな。一人が手を抜いたらその責任を他人が追わないとダメになるから、本来その責任を負う場所が手薄になってそこを突かれる。そういうやつが一人でもいるとそれで負ける。だからそういうやつは最初からいらん」

という事だった。

こういう「組織を育てる」にはまず「人を育てる」ということが大切なんだという経験をさせてもらった。

弱小チームになれてしまい「負け癖」「楽を覚える」「自己満足」「自己評価」・・という環境にいて、いつの間にかそれに疑問を感じない「ゆでガエル」になってしまうと客観的にそれを評価し指摘してもらえる人がいないとそれを脱却する事は難しいが、いくら客観的、俯瞰的にアドバイスをしたところでもう根っこから「ゆであがったカエル」には全く効果がない。

ゆであがったカエルは「聞く耳」を持たないから。

若いうちにこういう「経験」をしている人間は常に自分の「立ち位置」を確認するという「習慣」が出来るようになる。

立ち位置をなかなか自分で確認する事は凄く難しいので、常に「マイナス要因」に耳を傾けるようになる。こういう経験をすると「ゆでガエル」になる恐怖を知るから。

農業経営を始めると、「自分の評価は2割増し」と言われるように、どうしても自己評価は「盛りがち」になるもの。そうなると少しの遅れや気づきを見逃してしまい、それが毎年蓄積して行き「ゆでガエル」の方向に進んでしまう。

そうならないためには毎日を「意識」して感性を研ぎ澄ましておかないと、一度鈍った感性を取り戻すことはほぼ不可能に近い。

今年も今日で終わるが、今までも、そして来年からも

全てに対して「チャレンジャー」であることは何の変りもないし、自分が既存の延長戦でしか物事を考えられなくなったときはもう未来を想像する感性が無くなっている証拠なので、新たなチャレンジができないだろうから、その時は引退するということもまた変わらない。

 

 

 

俯瞰力 1

俯瞰力・・物事や状態の全体図を客観視することができる能力

つまり、俯瞰力を有しているということはまず、全体図が見る能力を有していないと物事を俯瞰的に捉えられない。かつ、客観視するには主観的視野から離れて物事を捉える必要がある。

中学高校と母校は野球の名門校で、全国から甲子園に本気で出たい、プロ野球選手に本気でなりたいという人間が集まる野球部だった。中学野球部の体験入学で、腕立て100回、腹筋100回というのは未だに覚えているが、そこを目指す環境ではそれはあたり前のことだった。

当然、小学生レベルでチームのキャプテン、エース、クリーンアップだったという人間が当然のようにいるし、先輩、そして後輩も毎年そんなレベルの人間が入部してきても何の驚きもないような環境だった。当然、自分は全くレベルが違う場所で、レベルの違う野球をしているのでプレーヤーとしては役に立たない。お呼びでない。いてもいなくてもいい選手。2軍に入るどころか練習について行くだけで精一杯だった。自分はピッチャーだったが、同級生の二人は中学生ですでに178センチ以上あったし、球速も変化球も同じ人間が投げているとは思えなかった。

しかし環境が人を育てるもので、いつのまにかその練習レベルが当たり前になってくるし、中学生の頃は練習以外に電車を途中下車して片道5.5kmの道をほぼ毎日、足腰を鍛えるために往復走って学校に通った。当時の2軍(3軍か?)キャッチャーと毎朝ブルペンで投球練習もした。たぶんあの頃は投球制限とか科学的な見地など全くなく、努力と根性とうさぎ跳び、水飲むな!の野球部だったから、毎日150球以上は軽く投げていたんだなと思う。結果的に大学時代にそれが引き金になって、自分の肩の投球規定回数を超えたので肩の鍵盤がボールを投げた瞬間に「プチ」っと音をたてて切れたW

それだけ練習しても、全く足元にも及ばなかった。全然レベルが違った。当たり前だわ。上手い人間は上手い理由があるから上手いわけで、練習の仕方が分かっているし、本気度が違う。なぜなら彼らは自分と違って「本気で」甲子園に出たいんだし、プロ野球の選手になりたかったんだから。そしてそのためには、高校でレギュラーになる必要があったわけだから。

しかし、全然レベルの違う人間でさえ、いやレベルの違う人間だからこそ自分が通用しないレベルを理解していて、高校の野球部に入部しない人も多々いた。当然、高校野球部は名だたる中学野球部のその本気度の人間が集まる場所だから、更にレベルは全く違う。当然、自分の努力の限界は、名門中学野球部では練習について行くレベルだった。

時間は有限で、中学生でもちゃんと目標をもって本気で行動する人間は、すべての人生のその時間を野球に使っていた。下級生でもどんどん自分よりうまい人間が入部してきた。グランドの中では先輩、後輩など全く関係ないし、どれだけ努力したかも、練習したかも、何年やっているかも関係ない。

評価はすべて結果のみのすっきりした世界だった。

当時の監督は自分たちみたいな人間がミスしても

「悔しがるのは練習したやつだけや。悔しがるひまあったら練習せえ!」やった。

自分は、中学生の時にそういう世界を知ったことは幸せだった。

 

続く・

 

 

人を育てるということ

農業はじめ、一次産業では後継者不足の問題がよく話題になるが、他産業においてもそれは同様の問題になっている。

別段それは今表面化してきたことに「今」やっと気づいたことではなく、人口の減少と日本の超高齢化社会と、若年層の減少期に入り、それは労働生産人口の減少がその根本的原因にあることはそもそも何十年も前から分かっている事である。

じゃあ、1次産業や、昔の職人気質の大工や、すし職人などいわゆる今まで「後継者不足」「3K」「厳しい」と言われてた産業全てが後継者不足かというとそうではない。

ハッキリ言ってしまうと、

「来ないところには来ない」し、

「いつかない場所にはいつかない」し、

「辞める職場はいつも辞める」のが現実だ。

そこには明確な原因がある。しかも共通項が明確に存在する。

以前、国内でも腕利きの70代の大工職人さんが今後の若手の育成を目的に、養成所を作り育成しているという番組を見た。驚いたのは、中学を卒業したての女子をはじめ、女子が数人いたことだった。

正確にいうと、今の時代女性が大工になるということが珍しいのではなく、その養成所が「厳しいのにも関わらず」女子や、若い子たちが20名ほどいたことだった。

そこでの生活は、完全寮生活で、朝5時起床してからは、炊事、洗濯、掃除はもちろん、殆どが雑務に下働きで1日が終わる。休みも殆ど無いし、小遣い程度は支給されていた。正直、今の若い子たちでは殆ど味わうことのない環境だったが、彼女たちの目がキラキラしていた。

そこには「人」が残る場所や産業の共通点が存在しているなと、その番組を見ていた。

先輩たちは、当然本職の大工仕事を終えてから、夜中まで後輩たちが学びたいことをサポートして教える。木材もそこの社長が提供する。先輩たちはそこで同じようにそうしてもらって学んだから、次の世代にそうする事はあたり前という前提で、何時まででも教えていた。

社長はもちろん経営者だから、仕事に対する妥協は全くなく、若手にも、見習いにも叱りつける。だけど、社長は必ず若手の社員の意見も聞きながらチャレンジさせるということに関しては止めない。当然、木材は高級な材料だからいい加減に任せる事はしない。いつも現場で曲がり、木目の見方や、これはこういう場所に使うんだから、この曲がりはおかしいんじゃないかとか必ず「目的」や「根拠」を伝えていた。

一方で、養成所の子たちは厳しい毎日が続く中で受けたインタビューで

「なんでこんなに厳しいところにいるんですか?」

という問いに

「社長さんは仕事にはすごく厳しいですし、よく叱られるます・・

 だけど、今まで本気で叱ってもらったり、注意してもらったりしなかったんです。

 先輩たちも、自分たちが聞いたことにまったくいやな顔しないで何時まででも付き合ってくれます。出来るようになることが嬉しいし、色々してくれる先輩や社長さんの期待に応えられるいい職人になりたいです」と。

結局のところ、こういう「背中」と「愛情」でしか人は育たない。つまり人が育たないのは自分の「背中」に魅力がないからで、受ける側が「愛情」と「本気さ」を感じないから。だから、給料を上げるとういういわゆる「お金でつる」という手段しかその場所に留める手段がない。だから、よりよい環境やお金が貰える場所があるとそこに行く。つまりそこの職場や人には愛情を感じないから。

自分は大学時代、社会人と、アメリカンフットボールをしていたが、練習はしんどかった。それ以上にコーチの方々、先輩が厳しかったけども「やることはやる」人たちだった。特にヘッドコーチは、他に仕事があるにも関わらず練習にも、練習後の夜中、明け方までのミーティングにまで付き合って頂いた。

そこで見た

「物事を成し遂げるにはここまでやらないと成し遂げられないんだよ」という姿勢や、「お前らが考えてたのは甘かったやろ?」

「これがお前らが考えてた掴みたい目標に行くためのあたり前やねんで。」

「お前らは何と引き換えにお前らが掴みたいもの掴むの?俺は、これだけ家族の時間や寝る時間や健康と引き換えにしてでも、お前らの掴みたいものに協力するで」という考え方や行動力を学んだ。

恩送りという言葉がある。

下級生の夏合宿は、下働きでしんどかったけど夕食食べた後よく「おい、お茶飲みに行くぞ!」って誘ってくれた。いつもお茶代とかご飯代とかもだしてもらったけどその時に

「自分に返さんでええねん。自分も先輩に同じことしてもらったから、俺で止めたら恥ずかしいやろ。俺だけ得して終わるだけやろ。だからお前も次に同じことしてやったらええねん」

広島カープの黒田投手も最後は年俸数億円を蹴ってでも、お世話になった広島カープに帰ってきた。若手にまだまだ伝えたいことがあったからだそう。

人を育てようとして「うちでは育たない」とよく聞くが、それは残念ながら正解を教えようとしているだけで、そんなことは本を読めば済む話。

一緒に悩んで、現場で汗かく「姿勢」を見せないかぎりその場にい続けないから、育たない。だから、リーダーは休みも一番ないし、しんどいところを受け持つんだし、体もきついし、何よりそれをやり遂げるだけの精神がきついもの。だけどそんな事は最初から「当たり前」なことなんだよなw

だから、みんなと同じリーダーはいないし、だんまりしてるリーダーはいないし、みんなが休んでるときに休んでるリーダーはいないし、みんなが行動しないから自分もやらないリーダーはいない。じゃなくても、自分はやるんだよねw