砂の城

群れで行動する心理の根底は「安心感」を得たいからで、安心感を得たいということは「自身で」安心できるだけの行動や環境を作れない裏返し。

それはつまり、行動も、判断も、意見を言うことも、環境を変えてもらうことも「自分じゃない誰か」が「いつか」やってくれるという依存度の現れ。

群れで行動する事の一番の恐怖は、「判断力」がどんどん鈍くなるという事なので、それを分かっている人は群れない。

集団心理は「みんながそうだから」安心だ、間違っていないんだという安心感の上に乗っているだけで、その方向性があっているのか、間違っていないのかの検証をしないことが殆ど。本当に本気でゴールを目指している人は、常に方向性やタイムリミットを確認しないと、現状のスピードで、努力で或いはこの方向性で本当に「自分の描いた」ゴールにたどり着けるのか不安になるもの。つまり、ゴール設定を明確に持っていると常に不安が付きまとうものだけどその価値観に「流される」事はない。

本当に「自分の描いたゴール」が明確にあれば、その不安を払しょくするだけの「行動」をとってそれを一つずつ具現化する事でその不安を取り除いて行く。

未来は誰にも分からないけれど、「想像力」だけが自分の未来を描けるツールなので、ある限られた思考、地域性、職業、時代認識・・限定されればされるほど思い描く「未来」も自分で狭くしている。

みんなと一緒やいいね、仲間外れにされるのが怖いだけの「そーだよね」をいくら積み重ねても、それは「誰かの価値観のもとで」自分の人生を生きているだけ。

色んなものに流されて生きていると、最初は「私は違う」「私はそういう人になりたくない」と思っていたものが、いつのまにかその環境に慣れてしまって自分がそのなりたくない側にいてることにすら気付かなくなる。

子供のころ海に遊びに行って、砂で城を作って遊んだが、砂の城を作るときは波がこないようにまず一人が防波堤の役目をして、城を作る前に寝っ転がるか、最初に防波堤を気付いてから城を作ったもの。

作った後は、作ることが目的だったから打ち寄せる波が行ったり来たりして最後には何も残らずに、無数の砂の一部に返って行くさまを眺めていたもの。そして崩れてしまえば何も残らずに、そんな遊びをしたことも家路につく頃には忘れてしまっていた。

短くても長くても、太くても細くても、キラキラ光っていても光っていなくても、周りが流されていても最後に「芯」だけは残るもの。

残った「芯」は見かけは同じに見えるかもしれないし、ぼろぼろかも、さびさびかも、ちんちくりんかもしれないけど、そういう味のある「芯」の価値はまた「芯」のある人間がしっかりと認識できるので、価値の分かる人間がそれを大切に受け継いでいくものなんだけどね。