壬寅年(みずのえとらどし)

2022年は十干の壬(みずのえ)と十二支の寅の壬寅年にあたるのだそう。

「壬」ははらむ、生まれる、厳冬、沈滞を、「寅」は動く、芽吹く、新しく始めた段階といった意味があるらしい。

合わせると、厳しい冬を乗り越えて、新しく立ち上がり動き出すということの意味があるのかなと考える。

コロナ渦で停滞していた経済や楽しみが元通りに動き出して、壬寅年にふさわしい年になってもらいたいもの。一方で、動き出す、芽吹くためには、仕込みや種まきと言った前段があっての話。色々と不景気だ、大変だと言っている一方で芽吹くチャンスのために準備していたのか、文句ばっかり言って周りに流されていたのかの差は、「静」ではなくて「動」の段階に入った時に試される。

静から動にギアがチェンジされた瞬間を見極められるかで最初の感性が試されるし、感性があっても準備していなかったものはついていけないし、持続力がないとすぐにおいて行かれるが、持久力も一朝一夕だはつかない力。

「花の咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」という言葉があるように、何かのせいにしている間に、文句を言っている間に、誰も行動を起こさない間に、準備している人は芽吹く時期に一気に芽吹くけれど、なんでも表面ばかり追っかけてその根拠を探らないでいる環境で育っていると、芽吹いてから慌てるが、そもそも種まきしていないものはもう追いつかない。

今年は農業の世界も大きく変化するいい年になりそうだ。しかもそれは、年々、自分の知っている僅かな人間関係や、歴史観で判断をしても、行動をしても全く意味がなく、世界基準で思考を巡らせていないと対応できないくらいの変化になってきている。

長い長い目標設定、広い視野と、俯瞰的な思考、教養や、無知の知など、自分の生きてきた身の周りの事や、歴史、思考がすべてではないんだという、自分には知らないということがあるということを自覚している人間が、「いつも当たり前」というなんとなく真ん中にいるようになってくるんだろうなと感じる。

ま、当たり前にやっている人はいつの時代も言うこと同じ。

「むちゃくちゃいいことも、むちゃくちゃ悪いこともないのが一番いいけど、それが一番難しい。それはいろんなものに左右されていないという証拠やからな」って言うてるわね。