準備

まだまだパラリンピックが続きますが、メダルを獲得されて帰国された選手の方々、惜しくも今回はメダルを逃してしまった選手のみなさん、コーチはじめ関係者のみなさん、お疲れさまでした。
心地よい寝不足の毎日を過ごさせていただいてありがとうございました。

やはりどんなことでも「結果」とは「準備の量」と「努力の方向性」それに「かける思い」つまり「好きの度合い」に比例するものなんだと感じたオリンピックでした。

ノルディック複合の渡部選手が銀メダルを獲得したレース後に語ったこと
「今までは、ジャンプでリードしてスキーで逃げ切るというパターンだったが、それでは無理なんだと感じた。ジャンプの時間を削ってでも、スキーの時間に練習の時間を割かないと勝てないと感じた。根本的に練習方法を見直さないといけない」と。

この言葉は、過去の成功体験にいつまでも引きずられて、それに慢心してしまっていてはいつの間にか周りの成長や環境の変化に気付かずに気づいたときにはもう手遅れになっているということを示した言葉だと思う。

また、オリンピックではないが先日行われた卓球の日本選手権だったかな?オリンピック銅メダリストの水谷選手と張本選手との決勝戦。10代の張本選手に負けた後の水谷選手の言葉。
「もし今日の張本選手の調子が絶好調で自分が負けたのであれば、自分にまた勝ち目はあると思いますが、もしそうでなく負けたのであれば、彼に勝てる気は全くしません。彼が出てくる前にメダルを取っていてよかった」と。

この前の夏のオリンピックで銅メダルを獲得したトップアスリートの水谷選手。トップアスリートでい続けるにはいつも進化し続けているからだし、当然、周りにも進化し続けている環境に身を置くアスリート。
だからこそ気づくことが出来る周りの環境の変化、進化の速さ。当たり前だが、努力も進化も自分だけがしているものではなく、周りも同様にしている。それも自分がそのスピードを認識していようといまいと。

植物の生長点はウイルスに侵されないらしい。ウイルスが増殖するスピードよりも生長点が成長するスピードの方が速いからだそうだ。

ウイルスに侵されてしまってはもはやウイルスに侵される心配はしなくてよくなるし、それは成長し続けている生長点にいなくなった証拠。それに気づかなくなった環境も同様。

いつも結果を出し続けるためには「結果を出すに値するだけの準備」が求められるし、その方法は時代に応じて常に変化し、その方法論も常に変化し続けている。

いつまでも過去の成功体験に浸っていては、それはもういつの間にか「考え方」も「方法論」も過去に置き去りになっている。「今までがそうだから」「みんながそうだから」を繰り返している環境にいると、周りの環境もろともそうなっていることにも気付けなくなってくる。
「気づく」には「気づく」ための環境と準備をいつもしていないと、周りの環境が自分のスピードに合わせてくれるわけではない。自分が変化して考えて、「自分が」変化してゆく以外にないわけで。

いまどきの若いやつは・・というセリフ。
今回のオリンピックで活躍しているのはまさにその今どきの若い人です。
今どきの若い人達に感動と様々なものを学ばせてもらいました。
経験は、決して年数だけではなく、どの深さまでやったかの方が経験値ははるかに高いと感じます。